新築とは?/ アットローン
[ 574] これホントに新築?
[引用サイト] http://www2.k-rent.net/fudosan/
「シニアの住まい」といわれるものを見ると、「ここに住む人は身体的にどこか不自由があるに違いない」と決めつけて、それを解決するための物理的方策にばかり気をとられているものが目立つ。だから少しも楽しさがない。しかし、周囲を見回すと元気なお年寄りの方が多く、住まいづくりに当たっては、「年を重ねて身体能力は少し衰えたけれど、いつまでも元気でいたい。それには、充実した楽しい暮らしをして人生を謳歌(おうか)することが大事」という人々をいかに満足させられるか、という面をもっと考えないといけないと思う。 シニアの方々に生の声を聞くと、「いままでの経験を生かして社会のお役に立ちたい。役に立っているという実感がほしい」という回答が多く聞かれる。定年退職し、または子育てを卒業して子どもに頼りにされなくなると「役に立っている」という実感が得にくく、何となく社会における存在価値がなくなったような寂しさを感じるのだと言う。「自分の楽しみを犠牲にして仕事や家事に奔走してきたのに……」と被害者意識すらわきあがってくるようだ。 この意見は、趣味や生きがいを持ちにくかった昭和ひとけたから10年代に生まれた人々に多い。戦後の混乱期から日本の復興を支え、己の欲求を押し殺して会社のために、家族のために禁欲的に己の使命(と信じていたもの)に忠実に励んできた世代は、年をとって「役に立つ実感」から引き離されると孤独と寂しさに苛(さいな)まされるようだ。 人生の最終章に暮らす住まいはどうあったらいいのだろう。「誰とどのように人生の仕上げ期を過ごすか」は、平均寿命が長くなった今、ことさら重要な意味を持ってきている。 家中に手すりを付け、段差のないフラットな住宅を造れば、シニア住宅として事足れり、としている住宅が多いのは残念なことである。実は手すりや段差より重要なポイントがシニア用住宅にはたくさんある。 「今まで家に居る時間が短かった夫が、定年後毎日朝から晩まで家に居るようになって、一日中顔をつき合わせているとお互いに息が詰まる。」という意見も多い。それまで家族が出かけてしまえば家中が「マイ・スペース」だった核家族の主婦にとって「終日同居人」のいる暮らしは初めての体験なのである。故に戸惑いも多い。夫も慣れない「毎日が日曜日」に戸惑う日々なのである。 だから「一人の時間を楽しむスペース」と「二人で分かち合う場所」を、例え家が狭くともきちんと確保しないと、二人の良好なコミュニケーションを保つのは難しい。無用ないさかいを避けるためにも、住み分けの工夫は必要であろう。それは独立した部屋でなくても、それぞれの趣味に没頭するコーナーでもいい。「ここは誰にも邪魔されない私の居場所」と実感できることが大切のようである。 また、一人暮らしのためのシニア住宅には、安全性を確保した上での「外とのコミュニケーションが取りやすい工夫」が必要ではないだろうか。玄関スペースを思い切り広くとって、気の張らない来客と上がり框(かまち)に座り込んでおしゃべりに時を過ごすなどというのもいいかもしれない。上がり框は30センチくらいの高さはほしい。靴の脱ぎ履きが腰掛けてできるととても楽だし、いす代わりとして使うこともできる。散らかしている時の来客は、そそくさと玄関先で追い返してしまいがちであるが、玄関が「気取らないおしゃべりスペース」になっていると、人がくることを拒まずにすむ。 戸建てやマンションの1階だったら、サンルーム兼縁側もいいだろう。道行く人の気配を感じたり、知り合いと言葉を交わしたりすることもボケ防止に大きな役割を果たすに違いない。何日もひと気を感じなかったり、誰とも話さなかったりしているとボケやすいと言われる。 防犯セキュリティーを充実させて、鍵1本で出かけられることも重要ではあるが、「コミュニティーはセキュリティー」と言われる通り、ご近所との良好なコミュニティーの形成が、困った時の助け合いのみならず、防犯の役割を果たすことも忘れてはならない。 明るく元気に、これまで蓄えた経験や知識・知恵を生かして、ボランティアに、趣味に、仕事に、大活躍する高齢者が増えれば「高齢社会も悪くない」と思えるようになるに違いない。それには、暮らしの基盤である住まいに、シニアの精神面をも支える配慮が求められる。 |
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