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渡りとは?/ アットローン

[ 392] 諏訪湖の御神渡り
[引用サイト]  http://www.city.suwa.nagano.jp/scm/dat/special/omiwatari/index.htm

※地元報道等でもありましたが先日28日、結氷した湖面に筋状に走る、高さ20冂度の氷裂が確認されました。「御神渡りの候補となるか」と話題をあつめています。なお、左の写真を撮影した29日は、明け方より数冂度の降雪があり視界もわるく、残念ながら湖岸からは氷裂を確認できませんでした。
能の起源といわれる「猿楽」は、物まねなどを中心とした笑いの芸・寸劇であり、神道的な田楽や、仏教的な延年などの芸能の影響を受けて発展した。14世紀後半に観阿弥・世阿弥親子が足利将軍家の保護を受け旋律に富む洗練された作品を生み出し「能」が完成されたとされる。江戸時代には武家社会の式楽となり庶民が能を見物する機会は少なくなっていったが、能におけるセリフ、地謡など言語表現部分である「謡曲」は江戸町人の習い事として流行し、特に元禄時代以降多くの謡本が出版された。「神渡」もその頃作られたと思われる(作者不明)。
昭和27年、諏訪市の能愛好家・小林観流氏が古写本を発見し、字句の補正を国漢学者・菊池久吉氏に、節付けの補正を観世流能師範・高山新一郎氏に依頼して復曲を行い、翌28年春に上演した。さらに、平成19年、高山氏の系譜を引く諏訪地方の観世流謡曲愛好家の集まりである高謡会が、謡曲「神渡」は大切な文化遺産であり多くの人々に親しんでもらい後世に謡い継いでほしいとの願いから、かな使いを平易なものに改め、小林観流氏発見の古写本と当館所蔵の古写本を比較検討して再復曲を果たした。
勅使がこれまでの教えに思いをいたし、明け方の湖面を眺めていると、諏訪大明神が凍る湖面を渡って現れ、不老長生を寿ぐ神の舞を舞ながら、雪が花のように降る虚空に向かって上って行かれたのである。
御神渡りに関する古文書が貴重とされているのは、添え書きに当時の出来事が記されていたり、豊作か凶作等の記録が残されているためです。特に江戸時代からは御神渡りのできる方向と農作物の作柄の関係が記録の中で重視され、そのデータは現在の御渡り神事でも行なわれている「年占い」に反映されています。一般的には、『結氷の早い年は豊作。遅い年は不作。』『御神渡りのできた方向が下諏訪町の下社方面の時は豊作。天竜川方面は不作。』といわれ、湖に氷の張らなかったいわゆる「明きの海(あきのうみ)」の場合も不作とされています。 (参考文献『諏訪市史 上巻』)
八劔神社の拝観神事の概要は、諏訪湖に御神渡りができると日取りを決め、宮司・氏子総代・古役など70名が自宅の門戸に注連縄(しめなわ)を張り、精進潔斎(しょうじんけっさい)に入る。拝観日の早朝、門戸の注連縄を自分の体にかけて神社でお祓(はらい)を受け【写真2・3】、2組に分かれて御神渡りに沿い湖の氷上を横断【写真4】し、北岸の上座地点を検分してお祓を行なう【写真5】。佐久之御渡りの下座地点と方向を確認して終了、各自の注連縄を湖岸の草木の枝にかけて帰り【写真6】、神前にて奉告祭を行なう。引続き、本年の作柄・世の中の吉凶・気候雨量等の年占を行なう【写真7】。後日に古式により御渡注進状を諏訪大社上社神前に捧げ、注進式を行なう。大社では宮内庁と気象庁に結果の報告を恒例としている。』

 

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