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従ってとは?/ ノーローン

[ 665] トップさえ従っているはずの規範についての幻想 - 福耳コラム
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070409/1176116337

僕が興味を持っているのは、天皇が国政上の意思決定にどのような影響力を「事実上」持っていたか、ということについてなのですが。
このような問題を理解するヒントを与えてくれるのが御厨貴氏や伊藤之雄氏などの見解だと思われます。明治時代にさかのぼりますが、両氏の見解は当初においてはそれこそお飾りであった明治天皇が成長し権威を強めていった結果、政局の深刻な対立が生じた場合において調停者として関与するというものです。明治天皇は権威を強めつつ自らの権力を抑制し「専制君主」にはならず、かつ調停者として政治の安定に関与したと言えるでしょう。
日本近代史に不勉強なままに、組織論的視点から改めて疑問点を整理してみます。まあそういうわたくしは、組織論についてもやはり不勉強ではありますが。
昭和について、「上司に叱られて涙目になってしょんぼり退出する大臣」というのは張作霖爆発事件の隠蔽に昭和天皇がぶちぎれた(後に若かったと回顧した)ことだと思われますが、伊藤氏はこのような昭和天皇の行動を慣習を無視した過剰な政治関与であったと指摘します。隠蔽を行うのは非常に問題ですが、天皇が総理大臣を直接叱責するという慣習を無視した行為は軍部の昭和天皇への不信を抱かせ両者の関係に楔を打ち込んだといえます。このような状況で満州事変が起こりました。伊藤氏の見解によれば適切な天皇の政治関与で事態の収拾は可能であったが、張作霖爆殺事件の時とは一転して天皇は政治関与を行わなかった。
つまり、昭和天皇の政治関与については、「どのような程度の政治関与が妥当かは事前にルールとして明文化されていたわけではない」と考えるべきなんでしょうか。まあ、「君主が宰相を半泣きになるまで叱責してよい」というルールも、「しちゃいけない」というルールも、そもそもそういう表現が明文化されることは考えにくいですが、田中義一は別に法制的に「辞職しなければならない」ルールがあったわけではなく、昭和天皇の感情表現によって個人的に影響されてしまったのであるとすれば、彼の辞職は法制度上の現象ではなく、心理学的現象ということになりましょうか。そうすると、仮に満州事変のときに昭和天皇が犬養毅や斉藤実を「叱責」とは言わずとも「リード」しても、つまり政治関与しても、彼らが「心理的に畏れ入って承伏しなければ」天皇は彼らの行動を統制する権限を持っているわけではない、とすれば?
あるときは昭和天皇の政治関与が妥当な水準より過剰であるときは過少だった、という捉え方が、こういうてはなんですが「後知恵」ではないかと思うのですよ。昭和天皇の影響力が法制度に基づいたものではなく個人的・人格的な影響力に基づいたものであるとすれば、当たり前ですがそういうカリスマ性は「相手が畏れ入ってこそのもの」であるのだから、政治関与が意味をもつか否かはひとえに相手の内心にかかっている。
田中義一が「畏れ入った」対象は田中が対面して叱責された昭和天皇個人の具体的人格である。犬養や斉藤が仮に昭和天皇個人によって心理的に影響され、「畏れ入った」かも知れないにしても、満州現地の関東軍に対しては天皇個人のカリスマ性は及ぶのか、及ばないのか?もし昭和天皇が「満洲の現地に行って関東軍の若手将校たちに直接訓令すれば」どうなっていたのか?
結論としては明治時代において有効に作用した「天皇の政治関与」を昭和天皇とその側近は継承することに失敗したようです。明治天皇の政治関与の抑制を理解せず、正史として描かれた天皇親政を真に受けていたようです。
「政治関与」を、個人の人格的影響力の行使と考えると、個人の行動に注目すべきなのでしょうが、すみません、僕の考えのまとまりがわるくて、うまく説明できないのですが。僕が興味があるのは、裕仁氏個人の行為とその影響よりもむしろ、「天皇の幻想」の影響力であって、昭和天皇個人ではないような気がします。
二・二六事件のときの陸軍若手将校たちもなんらかの「天皇の幻想」を抱いて独走した、かのように松本清張「昭和史発掘」とかで僕は読んで感じているのですが(すみません学術書じゃなくって)、また、東条内閣発足の時に東条が大本営で大声で「陛下の大御心は平和であるぞ」、と叫んで歩いた、みたいなエピソードを目にして、まとまらないままにいろいろ思うんですが、なかなか言いにくいので苦労しておりますが。
そうだ、会社の経営者に喩えてみよう、いちおう経営学をやっていることに世間ではなっているんだから自分は。
会社のトップマネジメントの持っている権限や、その人格・能力に寄せられている信頼によって他者の行動に影響が及ぼされることと、「うちの会社はこうあるべきなんだ」というイデオロギー(近年の経営学業界の流行りの言葉でいうと「ミッション」かな)が社員の間にまずあって、トップはそれを最もよく体現しているという「幻想」が次にあって、社員はその幻想があるからこそそのトップに心服しているように見えるが、実際にはトップ個人はそのイデオロギーを必ずしも反映した価値観を持っていない場合に、傍から見えるそのトップの権力やリーダーシップは実際には存在しないものだがそれがまだ社員たちさえ気付いていない状態、その状態で組織はどういう問題を孕んでいるのだろうか。
愚痴ですが、こういう「組織の規範についての「幻想」の問題」のはなしを自分の知っている経営学の、それも組織論の若手の研究者の先生方と問題意識として議論してみたいのですが、できないんですよ。みんな山本七平とかほとんど滅多に読まないんだもの。まして「現人神の創作者たち」なんかはね。古手の先生方も読んでいらっしゃる方にお目にかかったことが少なくとも自分にはない。じゃあ、同じような問題を実は既に経営学の大御所の誰かが理論として整理しているのか、ということは自分にはよくわからない。誰かご存知でしたら教えて下さい。まあ、自分の見聞が狭いからいけないんでしょうが。だからこういうことだからあっしなんか経営学をやれていませんからなあ、なんていうか、でも、日本の企業のお話を聞いて伺っていて、「ああ、これはあの「現人神の創作者たち」に出てくる問題の応用パターンだなあ、」とか思っちゃうことがけっこうあるのだが、自分は不勉強なので、それを組織論ではどう言っている先生がどちらにいらっしゃるのか、ぱしっとはまる先行研究をよく知らないのですよ。単純にトップと現場のビジョンが食い違う、というはなしではなくてね、なんていうか、もう「あるべき規範」についての思い入れというか片思いというか、幻想が突っ走っちゃう結果破綻していくというか、そういう現象。
>昭和天皇の政治関与については、「どのような程度の政治関与が妥当かは事前にルールとして明文化されていたわけではない」と考えるべきなんでしょうか。>国家を含む全ての組織は明文化された法・社則etc以外の要素で動いています。戦前における天皇の国政への関与も同様です。明治期には明治天皇と元老の阿吽の呼吸でうまくいってたわけですよ。しかしそれが昭和に入るとうまくいかなくなった。それは昭和天皇と側近の認識不足と慣習を熟知していた西園寺との距離だと書きました。天皇は内閣の統一した意志には許可を与えるしかなかったようです。だから「内閣が対米開戦をする」と言えば逆らえない。226事件(内閣崩壊)も終戦(御前会議の拮抗)も例外的な状況で行われたことです。>僕が興味があるのは、裕仁氏個人の行為とその影響よりもむしろ、「天皇の幻想」の影響力であって、昭和天皇個人ではないような気がします。> 基本的には「幻想」というのは天皇の最大の政治試算&伝家の宝刀です。(前述した慣習もそれを消耗しないためのものだっと言えるのではと思います。)それを昭和天皇は田中義一に対して抜いちゃったわけです。その結果軍は天皇への不信感を抱いちゃう。そのような影響力を消耗した状況で満州事変・515事件に対応しなければならなかったのが問題なんだと思います。僕の頭もこんがらがってきたので再コメントするか自分のブログに書いてトラバするかします・・・・
>国家を含む全ての組織は明文化された法・社則etc以外の要素で動いています。うーん。もうちょっと分けて考えたく思うのは、「なになにをせよ」という規範、「なにをするな」という規範、「なになにの範囲内で適宜判断せよしかしこれは絶対にするな」という規範、いろいろあって、どれをどれだけ明文化するか、あるいは文書化しなくても共通の認識として意識化されているか、そのへんを掘り下げたいのですね。「どんな組織もその行為の要素を全部明文化していない」というのはそれはそうなんですが。日本政府の最上層部の意思決定機構というひとつの組織のそれぞれ一回性の高い事象の歴史的研究からは、そこまでは概念化もできないのかもしれませんが。たとえば226のようなクーデターを想定し、それにいかに対応するかについてのいわば「有事の規範」は言語化されていたか、意識化されていたか。また終戦時の御前会議のように重臣たちの政策判断が拮抗してしまうことがありうるということを想定していたのかいなかったのか、つまり「例外についての規範」だってあり得ると思うのですよ。メタ規範と呼ぶべきかな。あるいは「そんなのは阿吽でやるべきなんだ」と言ったらそれも一種の「規範」でしょう。>基本的には「幻想」というのは天皇の最大の政治試算&伝家の宝刀です。(前述した慣習もそれを消耗しないためのものだっと言えるのではと思います。)田中義一ら重臣たちに対する個人・対面的、具体的人格としてのカリスマ性と、国民一般、そのうちの陸軍若手将校たちが空想する「天皇陛下はかくあらん」という幻想が持つカリスマ性(ふたつは対立するものであろうと思うのですが)、僕は後者についての「幻想」がどう働いたか、を考えたいのです。企業に喩えれば大企業の「実力名誉会長」が現経営陣の意思決定に与える影響力もなんらかの「幻想」に依拠するといえるでしょうが、その「実力名誉会長」に対して社員の「うちの会社とその経営者はかくあるべき」と期待している「幻想」(これがまさに神話かな)が「実力名誉会長」をも拘束する、そのへんをまた考えたいなと思っています。
三宅秀道。商学者。静岡文化芸術大学、明治学院大学、横浜市立大学講師。専門分野は商品企画論、中小・ベンチャー企業論、経営史など。副業で企業の商品企画顧問もし、ものづくり、産業振興、中小企業の経営革新についての講演をしたり。

 

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