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[ 91] 「派遣労働者」として働くためのチェックリスト
[引用サイト]  http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/haken/index.html

このチェックリストは、派遣労働者として就業することを考えていらっしゃる方や、現在、派遣労働者として雇用されている方が、労働者派遣法について雇用前から派遣就業後までの段階ごとに知っておいていただきたい項目を列挙したものです。各項目ごとに詳細を解説していますので、それぞれの項目をクリックしてください。 また、この他、紹介予定派遣に関することは紹介予定派遣の概要を参照して下さい。
◇ 派遣就業しようとしている業務は、労働者派遣が禁止されている業務(港湾運送業務、建設業務、警備業務、病院等における医療関係の業務(紹介予定派遣の場合を除く。))ではありませんか?
◇ 厚生労働大臣の許可を受けている、又は届出を行った適正な派遣元事業主であるかどうか確認しましたか?
◇ 雇入れの際、派遣労働者として雇用されることを派遣元事業主から明示されましたか?あるいは、既に雇い入れられていた場合には、労働者派遣の対象となることについて明示され、かつ、同意を求められましたか?
◇ 派遣労働者の雇用の安定を図るため、派遣元事業主及び派遣先が講ずべき措置が定められていることを御存知ですか?
◇ 派遣先又は派遣元の担当者から、派遣就業に先立って事業所を訪問して面接を受けるよう強要されませんでしたか?
◇ 就業条件及び派遣受入期間の制限に抵触する日について派遣就業の前に書面で派遣元事業主から明示がありましたか?
◇ 雇用保険、健康保険及び厚生年金保険に未加入の場合には、その具体的な理由について通知されましたか?
◇ 派遣元事業主だけでなく、派遣先にも労働基準法、労働安全衛生法、男女雇用機会均等法等の一定の規定が特例的に適用されることを御存知ですか?
◇ 派遣先は、派遣先の事業所その他派遣就業の場所ごとの同一の業務(政令で定める業務(26業務)の場合など一部例外があります。)について、派遣元事業主から派遣可能期間(最長3年)を超えて継続して労働者派遣の役務の提供を受けてはならないことになっています(以下「派遣受入期間の制限」といいます。)が、この派遣受入期間の制限を超えて派遣就業していませんか?
◇ 派遣先が派遣受入期間の制限に違反していた場合に、派遣先への是正のための指導、雇入れ勧告、公表の制度があることを御存知ですか?
◇ 派遣就業に関する違法事案について厚生労働大臣に申告したところ、解雇など不利益な取扱いを受けませんでしたか?
「令」 : 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律施行令(昭和61年政令第95号)
「則」 : 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律施行規則(昭和61年労働省令第20号)

 

[ 92] ITmediaニュース:研究対象としての「mixi」
[引用サイト]  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0509/14/news040.html

mixiを社会学の視点で分析する試みが始まった。人間関係はどのように広がっていくのか――mixiの巨大ネットワークを分析すると、独特の人間マップが見えてくる。
ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に、社会学からアプローチする研究が始まっている。SNSのコミュニティーは、人間同士のつながりを把握できる貴重なサンプル。解析すれば、人脈の広がり方や情報の伝わり方の解明につながりそうだ。
研究は、社会学の「ネットワーク分析」の視点で行われた。ネットワーク分析とは、個人の行動を、その人の意思や属性ではなく、その人を取り巻く環境――ネットワーク――によって説明しようという手法だ。
実社会の人間関係ネットワークを明らかにするには、個人に対して「Aさんとは友人ですか? Bさんとはどういった関係ですか?」と詳細に質問するなど地道な作業が必要。取れるデータの量も限られる。しかしmixiなら、36万人規模(データ取得当時)の人脈が友人リンク「マイミクシィ」(マイミク)を通じて可視化されており、大量の人間関係をそのまま分析できる。
マイミクの多い少数のユーザー同士は非常に濃くつながっており、彼らがハブとなって全体の人間関係をつないでいるようだ。マイミクが41人以上のユーザーは全体の4.8%に過ぎないが、構成するリンクは全体の33.6%を占める。一方、マイミクが5人以下のユーザー(全体の50.9%)が構成するリンクは、全体のリンクのわずか9.5%に過ぎない。
マイミクが少ないユーザーが、効率的にマイミクを増やせる仕組みを作ってやれば、mixi内部の人間関係はまだまだ濃くなるだろう――東京大学21世紀COEものづくり経営研究センターの安田雪特任助教授はこう指摘する。
高密度にリンクしているユーザーの固まりを解析すると、mixiには珍しい構造が見られるという。一般的に、ある固まりに所属するノード数は、固まりが大きくなるにつれてなだらかに増えていくが、mixiの場合は、固まりの規模がある一定に達すると「スキップ」が起き、一気に大規模な固まりにふくれあがるのだ。中間的な規模のかたまりがほとんど存在せず、「世界で初めて発見されたユニークな構造」(湯田研究員)という。
湯田研究員は、2つの仮説を立ててスキップの理由を検証した。コミュニティーでオフ会を行った際に一気にリンクが増えるという「コミュニティ効果」モデルと、ユーザー同士が「足あと」をたどったり、検索し合うなどしてランダムに結合する「検索効果モデル」だ。コミュニティー効果モデルで計算するとスキップが弱く発現し、検索効果モデルでは強く発現したといい、この2つがスキップの要因となっている可能性は高いが、スキップを完全に解明するにはさらなる研究が必要という。
mixiには「ネットワークの地平線」を超える作用があると湯田研究員は言う。リアルの世界では、自分から見えている人間関係は、自分の直接の友人まで。友人の友人がどんな人か知る機会はそう多くない。しかしmixiなら、マイミクシィをたどったり、友人の日記のコメント欄を見ることで、友人の友人の人となりを知る――「人間関係をたぐる」(湯田研究員)ことができる。“たぐり”の作用を理解することが、mixiの人間関係ネットワークの特性を理解するキーのひとつになりそうだ。
mixiのネットワーク分析は、同じ興味を持った人が集まって意見を交わせる場・コミュニティーにも及ぶ。産業総合研究所の情報技術研究部門知的コンテンツグループの松尾豊研究員などのグループは、コミュニティー間のつながりを解析した。
ユーザー数上位200位までのコミュニティーから2つを取り出し、共通して入っているユーザーの割合が高いほどコミュニティー間の関連性が深いと定義。関連の深いコミュニティー同士をつないでマップ化すると、同じ分野のコミュニティー同士が近くに並んだ。
ネットワーク内のコミュニティーには2つの特徴が見られたという。(1)分野同士をつなぐハブとなるコミュニティー、(2)分野をどんどん詳細化・マニアック化していくコミュニティー――だ。
早稲田大学大学院国際情報通信研究科の森祐治氏は、マーケティングシミュレーションにmixi研究の成果が生かせそうだと期待する。人間関係ネットワークが情報伝達や購買の判断にどう影響するかが、mixi内のネットワーク分析から見えてきそうだ。
研究を進めるにあたっての課題は多い。mixiのネットワークは大きすぎて分析が難しい上、イー・マーキュリーが提供したデータだけでは、マーケティングシミュレーションに生かすには十分ではないという。しかしこれ以上の情報提供を求めるのも、個人情報の保護などの観点から難しそうだ。安田特任教授は「mixi上の人間関係の所有者は誰なのだろうか。イー・マーキュリーの社長なのか、ユーザー個人なのか」と問題を提起する。
mixiは今後どう発展するだろうか。国立情報学研究所の大向一輝氏は「個人の“多重人格性”を保持しながら、サービスをどう進めるかが課題」と指摘する。ユーザーは現実社会で複数のコミュニティーに所属しており、コミュニティーごとにさまざまな“顔”を使い分けていることが多い。mixiは、すべてのマイミクに対して同じ顔しか見せられないため、マイミクが増えるにつれ息苦しくなってやめてしまうユーザーも少なくない。
「SNSとブログとメッセンジャーは、広い意味では同じだ」と湯田研究員は指摘する。ユーザー同士がネットを介して直接つながるという意味では、3者に変わりはない。国内SNS界では競合らしい競合のいないmixiだが、高機能化したブログやメッセンジャーとしのぎを削っていくことになるのかもしれない。
犯行予告収集サイト「予告.in」公開 「0億円、2時間で作った」「総務相が、ネット上の犯行予告を検知できるソフトの開発費を来年度予算の概算要求に盛り込むと発言した。費用は数億円」という報道を受け、開発者の矢野さとるさんは、犯行予告収集サイトを1人で2時間で構築・公開した。
「中の人」による職場評価が見られる就職情報サイト「あの企業のあのポジションの給与は?」「あの会社は働きやすい?」こうした疑問を解消する就職情報サイトが登場した。

 

[ 93] それはオタクとしての「劣化」だ - Thirのはてな日記
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/thir/20080507/p1

「以前からアニメを見ていたが、今はコメントがないとアニメが見れなくなった」という人間が増えている。2ちゃんねる等々でもよく見かける書き込みだし、自分の周りにもそんなことを話している人がいる。それは決して「このアニメはコメントがないと見れないほどの糞アニメだ」という意味ではなく、彼らは全てのアニメに対し普遍的にそれを感じているらしい。けれども、それってオタクとしての「劣化」なのではないだろうか。
コメント付き動画の面白さは、動画本体から来るのではない。動画の上に成立するコミュニケーション、それも「つながり」の実感に終止する疲れないコミュニケーションシステムが面白いのであって、動画は個人とコミュニティを媒介する存在でしかない。即ちその動画はそれ自体が価値を持つ存在ではなく、価値を生むための踏み台にすぎない、代替可能な存在である。コンテンツにかかる文脈をコンテンツより上位に存在させることは、コンテンツそれ自体に他の何物でも代替不可能な至福を見いだす「オタク」的価値観との決別であり、オタクとしての劣化であるとしか言いようがない。
昔から「実況」のような「仲間内でのアニメを肴にしたコミュニケーション」というのは存在していた。しかし、視聴者の活動はあくまでもコンテンツの消費とそれをモデルとした生産活動がメインであり、コミュニケーション自体はあくまでもそれを支援するものでしかなかったはずである。しかしニコニコ動画の普及*1により、この構図は一変した。全てはコミュニケーションのための存在に甘んじるようになり、他の代替可能な話題と同一視されるに至ったのである。アニメは消費されるものから「同じくアニメを媒介としてコミュニケーションを図る人間と出会いコミュニティを作るための存在」に変化した。それもコミュニケーションの内容に重点があるのではなく、コミュニケーションをしていることそれ自体、周りと「つながり」を持っているという幸福感に重点がある性質のものである。
なお、彼らがコミュニケーション重視へシフトしたのは、ニコニコ動画の一般化により、アニメがコミュニケーションベースとなることが可視化され、さらに日頃彼らが忌避していた「コミュニケーション」というのは、適切な距離感覚さえ保てていれば非常に心地よいものであることに彼らが気がついたからであろう。*2今は、ニコニコのような緩いコミュニケーションを元にした「つながり」を実感することそれ自体が何よりも好まれている。
もちろん、ここから「コンテンツに還れ」ということも出来るし、「コンテンツを直視することが視聴することそれ自体の本来の在り方なのではないか」というような主張も出来る。あるいはコミュ力不足のアニメファンが唯一の接点を求めてアニメクラスタに接近することについて嘆くこともできる。「本来のアニメクラスタはアニメを議論するために存在するのであって、アニメネタで集まった人間がただコミュニケーションを取るためのものではない」という感じで。
ただ、これを「劣化」ではなく「新世代への移行」と見ることも出来る。即ち現在アニメ文化に多く接している世代はコンテンツそれ自体ではなくコンテンツから派生するコミュニケーション、つまり「つながり」の実感を楽しんでいるという見方である。
若い世代は想像以上にコミュニケーション、中でも「つながっている」という心理的安心感を愛する。コンテンツは次々とコミュニケーションの文脈に吸い取られ、その中身自体はほとんど話題にならない。必要なのは「同一のコンテンツを消費していること」であり、そのコンテンツの中身を論じることは、彼と彼を結びつける接着剤としての役割しか持たず、本心としてそれをネタとしたいわけではない。以前からコンテンツにそのような役目があったのは確かだが、最後までコンテンツそれ自体を見つめていたオタクまでもがつながりの世界に足を運んでいくというのは、一つの時代の終わりを示唆している気がしてならない。そして「全てがコミュニケーションに吸収される世界」の先にあるのは、全く別の世界なのか、それとも「コミュニケーション疲れ」が引き起こすコンテンツそれ自体への回帰が起こるのか。この先にあるのは、前者だろう。なにせニコニコ動画が作り出した「疲れないコミュニケーション」(=つながりの実感のみに収束する新しいコミュニケーション方法)は、モロに我々に新しいコンテンツの在り方・関わり方を提示しているのだから。
しかしそれでも、コンテンツそれ自体が価値を失っていることは否定できない。なぜならば、彼らは「アニメ」を楽しんでいるのではなく、「アニメを利用してコミュニケーションを楽しんでいる」だけだから。アニメは彼らに対し「私が死んでも代わりがいるもの」と言いたくてたまらないだろう。
たまにはニコニコから離れて、コンテンツそれ自体を味わうのもいかがだろうか。コミュニケーションや場の空気を楽しむのも結構だけれど。誰からも見向きもされない「コンテンツ自体」って、なんだか哀しいじゃないか。これはオタクだから云々というわけではなくて、ニコ厨全般に言える。ニコニコでアニメをネタに楽しんでいる人*3は、たまにはコンテンツにも目を向けてみると面白いと思う。
*2:もっとも、コミケ等は人と人を接着する側面を持っていたのは確かだが、それでも彼らは「二次創作への(コミュニケーションの)貢献」を目的とした付き合いであった。対して現在ニコニコで見られているのは、コミュニケーションのためのオタク分野への関与であり、以前とはコミュニケーションとコンテンツの関係が逆転している。
おれ死んだほうがいいのかなあ。でもあれっすよ。アニメ研の合宿で1年生2年生とクネクネしてきたけれど、ベタにコンテンツそのものに没入する見方みたいなものには感心してもらえましたよ。*一例*ぼくが持ち込んだ『らき☆すた』のファンブックを広げて「こなかがイイっすね」と言っている子がいたので、「これねえ、10話のここ、こなたが抱えていたクッションを直後のカットでかがみんが抱えてるところ、これいいよねヤバいよね」と言うと、「気づかなかった! すげえ!」「そういうところまで見てるんですか」と。「もう何周かしてるんですか?」「各話5回以上は見てるねえ。気に入った回はたぶん20回くらいは」「すごっ」そんな感じ。いや、内心では鬱陶しいと思われていたのかもしれないけれど。っていうかいい年こいてなにやってんだおれは。しかしまあ、「ゆとり以前の人たちは熱さが違う。おれたちやっぱダメだね、ゆとりだから」と降年かました二度目の一年生が言ってたけれど、オタク的価値観への憧憬みたいなものはあるのかもしれません。ベタに受け取るならね。
あーあと、>「このアニメはコメントがないと見れないほどの糞アニメだ」という意味で使っているひともいますよ。下手をすると、それを「全てのアニメに対し普遍的にそれを感じている」ふしがある。そういう心性が、「DVDの売り上げどうにかしたいんならもっと面白いもの作れよ」というよく聞かれる言葉を生み出すのかもしれないと思いました。こんなアニメ、ニコ動でコメントしながらタダ見するくらいの価値しかねえよと。
アニ研にも随分と社交的な方が増えたように思う。「昔ながら」の人と「現代風」の人が共存しているような感じ。「昔ながら」の人も、段々とアニメを通じたコミュニケーションを楽しむ現代風に移行しているような感じを受ける。コンテンツに没頭して、(まず)独りで/を楽しむという半ば原理主義的なものに、ちょっと白けてきているのかもしれない。
「コメントが無いとアニメは見れない」という人が、そもそもオタクではなく一般人だった、という例もあるのではないでしょうか。ニコニコ動画でアニメを見た人がみなオタクであるとは限らない気がします。
俺はまだニコニコであろうともコンテンツを楽しんでいる、と断言できるし、他にも断言できる人はたくさんいると思いますよ。例えばニコニコでもアニメの視聴格差はあります(正確にはありました。今期は見ていないのでわかりません。というか猛烈な勢いで削除されている?)特にこどものじかん、クラナド、絶望先生、ひぐらし辺りは常にランキングダントツであったように記憶しています。他はどっこいどっこいです。ヘビーユーザーでも無限に時間があるわけではないのでコンテンツの選定をするのは当然です。一話目でつまらないと思えば切ります。結果、二話目以降は格差が生まれます。俺は日曜の朝は絶望先生を見るためにニコニコを開いていました。ランキングを見るのはおまけです。MADやミクでも同じく今も質の高いものが上位に来る傾向は変わりません。MADならわかむらP、なのは遊戯王の人あたりは新作が出ればすぐに上位に食い込みますし、ミクならkz氏、baker氏あたりが鉄板でしょう。他にも作者の話、作品の話になれば我々の話はつきないと思います。我々にとってはコンテンツは踏み台ではありません。変えがたいものです。変えられるものであれば、なぜランキングの格差があると思われますか?
どこで格差が生まれるのでしょう。実は格差を生む(=価値付けをする)人間はごく少数で、後のユーザーはいわばフリーライダーとなってコンテンツを「踏み台」にしているかも知れません。MADやミクなんかは巧拙がハッキリ出ますから、質の良し悪しはフリーライダーでも結構わかる。ただ、人気が無いが良質なそれらに、フリーライダーは別段興味を示さないように思われるのです。それよりも、人気のある作品に飛びつく、群がる。確かに最初の理由としてはそのコンテンツが「良質」だから人が集まるのですが、ある程度加速を得てからは必ずしも集まる理由が「良質だから」であり続ける必要はない。コンテンツそのものを離れて、その上で行われているコミュニケーション自体が目的化されたとしても、別段不思議ではないように思われます。
もちろん評価する人と消費する人とその中間の人がいるとは思います。俺自身、もっと評価されるべきタグをつけ、マイリストに入れてきましたし、それが評価されることもされないこともありました。ただランキングだけ見て消費しているであろう人がいるのは事実です。それはオリコンを見て音楽を買う行為となんら変わらないと思います。ですが、デフォルトのランキングがマイリスト数になってからは相当数の評価者がいなければ、ランキングは登ってこれなくなっています。マイリストに入れることが評価することになっているとすれば、今は多くのユーザーが評価に関わっていると言えませんか?それと価値評価の軸は、バラエティのそれとドキュメンタリーのそれが違うように、ニコニコでも作品によって大きく変わります。ハイポーション作ってみた、などの系統の動画やギャグ系のMADはまさにネタとして、話題性としての軸で評価される動画だと思います。そういう動画が一位を獲得する日もあれば、良質のアニメやMAD、ミクオリジナル曲が一位を飾る日もあります。そしてそれが既存作者ではないことも未だにあります。最近だとポリ幾三の人の評価の急上昇などですね。これだけ見てもコンテンツそのものの評価軸はまだ失われていないと思います。
「mixi疲れ〜」のエントリーからきました。非常によくまとめられた文章で、面白かったです。「mixi疲れ〜」のエントリーに書かれていることがそのままこの「オタクとしての劣化〜」におけるニコニコの緩さに繋がるかなと思います。個人的には、ニコニコのコミュニケーションのシステムはコンテンツそのもの議論には向かないというのもあると思います。「議論」とはやはり個の考え方のぶつかり合いであり、個が完全に特定できず、かつ瞬間的なコメントしかできないニコニコは、元来ライトなコンテンツ消費しかできない構造なのかなとも思います。一方で、他の方も指摘していますが、youtube以上に作り手同士がお互いの動画に刺激をうけ、新しい何かを創成している点には面白さを感じます。ニコニコがオタクとしての文化を崩壊させる可能性もありますが、作り手側を見ているとそうでもないのかなという気もしますが、その点はどうでしょう。
全くその通りだと思います。オタク側からも一般人側からも「ぬるオタ」化する人間が続出しており、かつ「オタク」層はさらに「濃く」なっているような印象を持ちます。最後に、お読みいただきありがとうございました。

 

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