ほとんどとは?/ マイワン
[ 188] ほとんど無能
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/c-pete/
完全オリジナル展開に突入の小説版電脳コイル第5巻です。表紙のとおり、アニメ版屈指の萌え回だったお祭りエピソードですが、小説版では「子どもvs大人」を描く物語の大きなターニングポイントになります。 夏休み中の学校での肝試しでおこった《メガネ》による怪奇現象。囁かれ始める“神隠し”の噂と、なにかを隠しているような大人たちの態度。コイル電脳探偵局と大黒黒客クラブは協力して“神隠し”と《メガネ》の秘密を調べはじめるのだが、それを執拗に邪魔をする者たちが現れる。そして訪れる鹿屋野神社の神事“茅の輪くぐり”のお祭り。なぜかこの祭りでは、厳しく《メガネ》の持込が禁止されているのだが……。 黒さに定評のある小説版ですが、物語が進行するにしたがってどんどんどす黒くなってきましたよ。ただ、これまでとは違うのは「黒ヤサコ」に代表される子供たちの内面の闇ではなく、大黒市の因習とメガマス社、そして得体の知れない大人たちの闇が深くなっていくところ。カンナのお母さんがガチで“心”も病んでいるは、メガばあとヤサコパパまで暗黒面を垣間見せるわで、どの大人も油断なら無い。唯一の救いでありそうなカンナのお父さんは、いつハラケンに牙を向けるか心配でならないけど、さすがにそれはないだろ常考。 ところで、ノベラいズだから仕方が無いとはいえ表紙のアニメ絵、ほとんど関係ないわな。このイラストからだとヤサコとハラケンの急接近に嫉妬するイサコ様にしか見えない(笑)。 『氷菓』と『愚者のエンドロール』に続く、古典部シリーズ三作目の文庫版。本作も米沢穂信の持ち味といえる、青春ミステリ。ただ青春といってもちょっとホロ苦いですがそれこそが醍醐味。もちろんミステリとしても前二作より楽しめることも請け合い。最初に結論を書いておけば、前二作が微妙という評価の方にも力を込めてお薦め。以下蛇足。 舞台は神山高校の文化祭、通称“カンヤ祭”の三日間。古典部では摩耶花の手違いで、部誌『氷菓』を作りすぎてしまうアクシデントに見舞われていた。200部という数を捌くため部員4人が奔走する。とは言っても“省エネ”をモットーとする奉太郎がそうそう動くはずも無いのだが……。文化祭中に“十文字”を名乗る連続盗難犯が現れる。そして抜かれる伝家の宝刀、千反田えるの「わたし、気になります」。かくして古典部は、十文字事件の解決をもって部誌の完売を目指すことに。 さて、高校時代の青春の発露の場といえば、体育祭に文化祭に修学旅行などなど。中でも文化祭というのは文化系の読者諸氏には思い入れがあろうと思います。かく言う僕も……などという話はおいておいて、この作品の何が巧いかといえば物語の語り口。本作では、古典部員4名それぞれの視点でカンヤ祭が描写されることにより、文化祭というお祭りの空気をさんざマナ角度から味わえます。また、個々人の内面も掘り下げられるため、4人の想いの微妙な機微がまさに青春!として読ませられます。いいですね、青春。懐かしいですね、青春。ははは。 ところで、小市民シリーズとの混同かそれ以前の思い込みか、僕の中で千反田さんはちっこい印象だったんですが、実際は摩耶花がちびっこキャラだったんですね。それでもなんだかもやもやしている時に、まいじゃーさん経由でicecreamteaという素敵なサイトに出会えました。ここのサイトの古典部イラストで僕の中の千反田えるは確定しましたよ。なんと素晴らしいイラスト! こんな素敵に可愛い千反田える嬢と奉太郎がなんだからしいと噂の『遠まわりする雛』が、「わたし、気になります」 冲方丁は闘う作家なのだと再認識させられた。誰と戦うのか? 世界と闘っているのだ。ライトノベルという媒体で、文学に戦いを挑み、世界の悲しみと未来に戦いを挑み、そして読者にも戦いを挑む。 スーダンのダルフール地方で起きた大虐殺事件の国際裁判が、ミリオポリスの国連都市で開かれる。被告人の軍事独裁政権の将軍と彼の有罪を証言する7人の証人たち。MSSの特甲児童の少女達は彼らの護衛を命じられるのだが、対面した証人達の強靭な意志に打たれ、心を通わせ、何としても守り抜く覚悟を新たにする。しかし、厳戒態勢の国連都市を武装テロリストが急襲。予想外の大部隊、重武装、悪天候により孤立する警備隊、巧妙に張り巡らされた計画と罠、裏切り、そして、最強の敵の登場。我が身をいとわず奮戦する少女達だが、自らの死さえも見越していたかのように淡々と殺されていく証人達。 圧倒的な筆力で描かれる少女たちの戦いはまさにノンストップ。500Pを超える文量も苦にならない。特にIV巻では鳳たちを支える大人たちの戦いが熱い。MSSの面子だけではなく、7人の証人たちそれぞれの信念と真意。本作がただの戦闘美少女によるSFドンパチに終わらないのは、この大人たちの戦いがあるからこそ。逆説的に言えば、やはり既に冲方丁にとって少女たちの戦いを描くリミットが迫っているように思える。シュピーゲルシリーズは、それぞれ6巻で締めくくられるそうだが、冲方丁はどのようにこの作品との闘いに終止符を打つのだろうか? ドキドキするっしょ! しかしながら、本作で僕が最もしびれたシーンは戦闘などではなく、世界統一ゲームという架空のTRPGを特甲児童の少女たちと証人たちが行うシーンだ。実質、読んだ感覚ではTRPGというよりも高度に発達したディプロマシーとでも言うべきか。このゲームの過程で描かれる未来予想はとてもスリリングかつ現実的。実際、地球温暖化や次世代エネルギーによる食物高騰、水危機まで一級のドキュメンタリーを読んでいるような感覚だ。現在進行形で続いているスーダン・ダルフール危機などと併せて、やはり冲方丁はライトノベルの舞台から読者に強く戦いを仕掛けてきている。 サラリーマン編集をとりまく環境について考える - ラノ漫―ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記― 不運を嘆く時間があるなら、運をつかむ準備をしよう - ラノ漫―ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記― |
[ 189] スラッシュドット・ジャパン | 企業設立の「仮想世界」のほとんどは失敗する
[引用サイト] http://slashdot.jp/article.pl?sid=08/05/19/0022229
但し書き: コメントはそれぞれ投稿した人のものです。決してわたしたちが責任を負うものではありません。 仮想世界で何ができるのかと問われた時、魅力的な答えがないのだから仕方ない。美麗でリアルなグラフィックや、高度な物理演算を高速にできたとしても、「で、これで何すればいいの?」で終わる。多くのコンシューマユーザにとっては、仮想世界は手段でしかない。これは、仮想世界が3Dでも2Dでも同じこと。じゃあ手段に対しての目的は何があるかというと、ゲームぐらいしかない。それも、MOやMMORPG、FPSぐらい。これら以外の画期的な「目的」が思いついたら、多分それだけで商売になる。# 日本でのセカンドライフのように、ユーザの目的として「儲かる」なんてものが出てきたら# 破綻は確実なのですよ。儲かる、つまり金銭的利益の対価として何を与えるのかと。# ユーザ全員の目的が金銭なら、金銭の対価は金銭しか存在しないじゃん。セカンドライフでは「仮想世界で物を作る」という魅力がクリエイター魂を刺激して、テクスチャのアップロードなどでちょこちょこお金を抜いて利益を生み出したけど、それは結局、イラストSNSや、ブログや、YouTubeなどなどでも満たされうる「目的」なわけで、「3Dで動く」に魅力を感じなければ別の媒体にユーザは流れてしまう。それならば、めんどくさい3Dモデリングに時間をかけてちまちま造る、それで以上でも以下でもない完結してしまう「仮想世界」よりも、ゲームしつつキャラやアバターの着せかえをしたり、それをイラストにしたり、MAD動画作ってみたり、そういう「広がり方」をしたほうがお手軽だし、自由度が高いし、楽しい。って、こんなことわざわざ調査しなくてもわかりきってたことな気がするのですが、なんで今更。ちゃんと調査した、ということに意味があるのかな。 一部利用者の間で成功してた(る)、とは言えるでしょう。日本人オーナーの著名ショップもあったし、今でも活動している人はいます。現在の活動は、 http://www.slmame.com/ [slmame.com] でも見れば良いんじゃないでしょうか。この「失敗」はやっかいな失敗で、ソフトウェア、コミュニティの失敗というより、マーケティングの失敗なんですよね。なぜか知らないけど、「億万長者が出た」という大騒ぎから、大小様々な広告代理店が出入りして、それに乗るように一斉にメディアが取り上げて、その後、参加したけどつまんないと思っている人から、結局誰も加害者もいない、被害者もいないバッシングが発生。あの手のバッシングって、何を指して、誰を批判しているのか、さっぱりわかんなかった。大文字の「SEOCND LIFE」ともいうべき、バッシングされるべきセカンドライフという何かががあたかも存在していたかのような感じで。実際、Linden Labは日本向けの営業をした訳でもないし(一時期提携話もあった気がしましたが)、SLコミュニティの人が誰かを巻き込んで騒動を起こした訳でもない。誰と誰が争っているのかわからないバッシングを一時期よく見ました。そういうバッシングほど、なぜか熱狂的だったり。「セカンドライフは失敗した」ということにしておかないと誰か都合が悪い人がいるんじゃないかと思うくらい、すごく奇妙な感じがしています。 SLを日本で成功させようとしてた人たちがいて、その目論見どおりにならなかったんだからやっぱり(少なくとも日本では)「失敗」とみなされて仕方ないんじゃないかなぁ。一消費者としては、アメリカでは大人気らしいけど日本への売り込みには失敗した数多の商品と同じ扱いです。遠い国での事情を考慮する必要もないのでは?> 「一部で流行っているオンラインゲーム」日本で成功させようとしてた人たちの中に、「一部の人」は入っていないかもしれないですけど。 イベントなど人の多い時に行くと、ネットワーク負荷が大きくて、動かなかったり、落ちたり。そうでなくても派手な場所は重い。人のいない時に行くと、風の音が寂しさを助長してつらい。(だいたいイベントがいつあるのか、初心者には分かりづらい)(PCのスペックなど諸々敷居が高い)(風の音を聞いてゴーストタウンの雰囲気を味わい、有名どころ を一通り回ったら去る)#セカンドライフの件#あくまで私個人の感想 結局のところ,リアルの模倣としての世界はいらないんじゃないかなぁ.というのが正直な感想.現実世界のあれこれに対応するだけでも大変なのに,仮想世界における自分なんてものまで気にしなきゃならなくなるともう正直言ってお手上げです.面倒臭い.むしろ現実世界のしがらみと完全に分断されたゲームの中の世界に没入するのは楽しそうだとは思う.そこに現実世界でのあれこれを持ち込むのは個々のプレイヤーの自由.だけどせっかく仮想世界に入っても,そこが常に現実世界のなにかのメタファーとしてのオブジェクトやルールで満たされていると,萎える.そういうわけで,ギャルゲーやってる間くらい現実世界と分断された幸せな2Dの世界で生暖かく過ごしたい.#結論がめちゃくちゃだな 1個のコメント が現在のしきい値以下です。1個のコメント が現在のしきい値以下です。 Re:世界は二つもいらない 仮想世界でのビジネスはまだまだ出始めたばっかりで、確立されたノウハウがほとんどない世界。 これってベンチャービジネスと同じで成功率が低いのは当たり前じゃないかと。 たとえば、脱出系のような仕掛けとかができるような機能があったら、ゲーム性があって良かったかな?とか。。 だいたい仮想世界で何がやりたいのか明確な目的やビジョン、計画性を持たないままに、「とりあえずツバつけとくか」みたいな感じの取り組み方じゃ、失敗して当然だよね。比較的遊ぶ目的がハッキリしてるMMO系のゲームだって、時の流れの流行り廃りに向きあうためにコミュニティの充実だとか定期的なアップデートやイベント開催が必要なご時世だし、CGMの方向性に持っていくにしたって、何かしら起爆剤めいた動きとそれを盛り上げるための運営側の努力があって初めて成長するものだろうし。こういうことって、別にネット上のサービスに限らない普通の商品開発にも共通することだと思うんだけど、なんでそれが出来ないのだろうか。計画をレビューするお偉方なんかは、こういうのは未知の分野だってことで思考停止しちゃうのかねぇ。 グラフィックスや挙動のリアルさがまだまだ不足であることも、失敗の一因だと思うのですけれど。「こんなにリアルなのに失敗した!」などと言われる失敗例がありましたっけ? リアルにしようとしすぎて,クライアントに要求するスペックが上がってしまって結果的に「おも〜,やってらんねぇ」って敬遠されるってこともあるかと.そういう場合はむしろ「こんなにリアル(にしようとした)だから失敗した!」ってことで. ・ カジノは金銭がやりとりされる回数が多いので集計では多く出るが実態はそれほどでもなかった。 リアルと繋げようとするから失敗するだけでしょ?アンリアルにはリアルじゃないことができるから価値があるのにリアルを絡めようとしたら価値が減るだけ。MMOに関してもRMTを排除できるかどうかが世界の寿命に大きく関わる。効率的にRMTしようとする者からすれば世界の秩序なんてどうでもいい、もっとぶっちゃければ(自分さえ売り抜ければ)世界そものもがどうなってもいい。 わざわざ但し書きしてるから、そうでない仮想世界との比較がされてるのかと思ったらそうでもないのね。# それとも、「国家が軍事目的で」作った仮想世界は大成功したのに、という話? ちょっとだけ懐に余裕のある奴らの財布から、気が付かないうち(←ここ重要)に小銭を全部抜き取るようなしかけを作れば、イケる気がする。 そこにもう一つの世界があって、生活があって、って考えるとまた違うような。現実世界にいるよりも幸せになれる仮想世界、じゃなかったら、仮想世界に行く理由って無いんじゃないでしょうか。単なるリアルな現実の模倣なら、現実で良いのですよ。きっと。仮想世界にしろ現実世界にしろ、あって幸せなものと、無い方が幸せなものとがあると思うのです。素敵な恋や友情は、どっちの世界でも欲しいですよね。可愛いキャラやカッコいいキャラで動き回れば、現実よりもきっとはるかに得やすい。その姿を得る為にお金なんかが必要だったりすることもあるけど、その為の労働は現実でするのに比べれば、はるかに緩い。現実で離れていても、近くにいるように感じられる幸せ。何度死んでも、多少のペナルティで生き返れたり、あるいはそもそも死なない幸せ。自分がなかなか行く事のできないような、素敵な場所にいられる幸せ。ばったばったと敵をなぎ倒し、あるいは可愛い服を着て、なりたい自分にちょっとだけなれる幸せ。現実と似ているけど、現実よりちょっと幸せだったり楽しかったり、素敵な感じだったり。そんな仮想世界に、人は集まっているんじゃないかなと思います。その代表としていま君臨してるのが、MMORPGのようなゲームの世界なんじゃないかな。戦闘する事を楽しんでいても、その世界の住人として演じて遊んでいても、楽しい世界ですよね。そういう幸せがある世界。現実のお金を少し払ったとしても、楽しくて幸せな時間があったりする。そういう世界を提供できたら、成功するんじゃないのかな。--# スーパーマリオブラザーズだって楽しい冒険ができる仮想世界ですyp! --- ayano.czkey |
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