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[ 410] ゲームの右と左 マリオはなぜ右を向いているのか - 最終防衛ライン2
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/lastline/20080329/1206781018

物語は舞台の上手(かみて)から下手(しもて)、つまり右から左に進むのが洋の東西を問わず一般的。映画などでも、主人公は上手の右、敵役は左にいる。主人公は右から入場し左へと退場していく。つまり、物語は「←」と右から左へ進行する。縦書き右綴じな日本の漫画は「←」で右から左に物語が進むが、横書き左綴じの西洋の漫画は「→」と左から右に進む。日本の漫画は左右が映像のロジックと一致しており大変読み易いと言える。
しかし、ゲームは「→」と左から右へ進行する。スーパーマリオブラザーズを始めとする横スクロールアクションやグラデュウスなどの横スクロールシューティングにおいて自機は右を向き、「→」と左から右へ進む。格闘ゲームなども1Pは左側で必殺技も右に出る(キャラ右向き時)。映像のロジックで考えるとゲームの進行方向は左右が逆になっている。これは何に起因するのだろう。
左右というのは非常に難しい。往々にして混乱する。例えば鏡は右と左が逆になっているように感じるが実際は前後が逆になっているだけだ。オーストラリアのある部族は右と左に当たる言葉がなく方向は常に東西南北で把握するという。これは、あまりにだった広い所にすんでいるため方向を示す対象物がなく常に太陽を基準にするからと考えられている。
日本はそもそも左上位である。漢は右上位であった。右腕や座右の銘など右はポジティブだが左遷など左はネガティブ。しかし、唐でそれが逆転。北が最も上座で皇帝は南を向いて座る。その際太陽は皇帝から見て左である東から上るので左上位となった。日本も唐の長安を倣って平城京を造ったため左上位となった。だから京都で左京区は東に、右京区は西にある。だから、右大臣よりも左大臣の方が偉い。
また、日本は古来より縦書きであり文字を右上から左下に読む。しかし、これも左上位同様に横文字の流入により左上から右下に読む横書きも広まった。縦書きにおいて、右上から左下へと書く理由は元々中国では木管に文章を書いており、それを繋げて巻物にする際に右から左にまとめた方が読みやすいからという理由である。だから、巻物は右から左へと読み、この形式がそのまま本になると左綴じの本となる。一方横書きも元々は現在のアラビア文字のように右から左に書いていた。その理由は右利きの人が石版に刻む際に、左手にノミ、右手に槌を持った方が力を入れやすいから。それから、洋紙などに書くようになると右手でペンをもつので書きやすい右から左になったと考えられている。
ちなみに、昔の日本語の横書きを右から読むと考えがちだが、あれは一文字の縦書きだ。目線で言うと「←」と右から左から読むのではなく、縦に「↓\↓」と上から下へ、右下から左上と読むことになる。
日本は元々左上位だったが現代は右上位が優先。さらに、縦書きと横書きが混在している。そのため、日本で右と左の文化的背景を追う場合はこの辺をきちんと留意しないと混乱することになる。また、右と左が非常に相対的で、どちらから見るかが大きなポイントでこれも混乱の原因。
ちなみに、舞台の時系列が右から左に進むのは昔は青空舞台で見やすさの観点から、北が舞台で南が観客席だったかという説がある。この時、太陽が昇る東が右で沈む西が左となるので、時間が右から左へ進むというもの。
チキチキマシン猛レースはなぜ右から左に進行するのか。それは、主人公達が右から左に進行するのが映像のロジックだから。逆の「→」の左から右へは「帰還」になり、ゴールを目指す場合は「←」の右から左が映像のロジックである。
右から左に文字を読む縦書き文化と、「←」と右から左へ進む映像のロジックが一致した日本の漫画は非常に理にかなっている。一方、横書きでは物事は左から右へと進む。横書き文化における漫画は左から右へと進み映像のロジックとしては理にかなっていない。
さて、視線の動かしやすさを考えた場合左右は「→」と左から右に動かしたほうが見やすいといわれる。それにも拘らず、チキチキマシン猛レースは「←」と右から左に進行する。なぜ、映像では右から左へと進むのが一般的なのか。富野由悠季は「映像の原則」で心臓は左側にあるから、なんとかかんとか書かれているそうですが。
映像で右から左へと進むのが一般的という問題の答えとなるであろう考察が フレームのカミシモ 別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ にあった。それは映画のスタッフロール。上下で考えると視線は「↓」と上から下に流れるのが自然だろう。しかし、映画のスタッフロールは「↑」と下から上に上昇する。テレビのスタッフロールも同様に「←」と右から左に流れる。ニコニコ動画のコメントも「←」と右から左に流れる。
どうしてニコニコ動画のコメントは「←」と右から左に流れるのか。これは、横書きされたコメントを「→」と左から右へ読むからだ。視線が「→」と左から右へと動くか、目標が「←」と右から左へと流れた方が捉えやすい。なぜならば、「→」と左から右へ動く視線に「←」と右から左へ流れる目標が交錯するから。相対速度を考えると、視線と目標の動きが交錯するのでスピードアップし、結果として文字を早く読める。
一方、視線と目標の動きが「→」と左から右と一致する場合は相対速度が下がり、減速しているように見える。例えば、能などの演舞で演者が左から登場するのは視線の動きと一致するから、じっくりと演舞を観察することができる利点がある。
視線が「→」と左から右へ動くからこそ、「←」と右から左の動きは加速されて見える。だから、「舞台には上手から下手に風がゆるやかに吹いている」。ライダーキックなどのヒーローのフィニッシュ技が「←」と右から左なのも加速することで勢いが増すからだろう。また、幽霊などの不意の来訪者が右から登場するのも加速が関係しているかもしれない。
「←」と右から左が加速で、「→」と左から右が減速なのは日本の漫画でも同じで ネギま!で遊ぶ で実際にコマ割を逆転させて検証している。漫画でのコマ割は手塚治虫や特に石ノ森章太郎が完成させたといわれる。参考・石森章太郎(石ノ森章太郎)のコマ構成 が大変詳しいので参考にされたし。つまり、映像のロジックにおいて、「←」と右から左が加速に当るのでチキチキマシン猛レースは右から左へと進む。
日本の漫画を考える場合に、紙芝居や絵巻物は外せない。紙芝居の時系列も「←」と右から左であり、紙を抜く際は観客から見て「←」と左へ抜ける。左に抜くので、主人公は左向きに書かないと抜く際に主人公がバック=及び腰になる。そのため、紙芝居で絵を描く際は登場人物の向きに留意しなくてはならい。紙芝居の時系列も「←」と右から左なのは、絵巻物を継承しているからであろう。
ついでに、レースにおける右と左。F1では右回り(時計回り)のコースが多いのでコースの外から見るとマシンは「←」と右から左と進む。一方人間のレースでは、軸足の関係から左回り(反時計回り)である。100m走りなどは「→」と左から右へ動く。また、水泳などもゴールは右に撮影される。レースの観客の視点が「←」と右から左と進むからチキチキマシン猛レースもそれに則っている可能性もある。
にも拘らず、ゲームはキャラが右を向き「→」と左から右へ進行するのが一般的である。これはコンピュータゲームというようにコンピュータを継承しているからだろう。コンピュータの起点は画面左上である。これは、「→」と左から右へと読む横書き文化圏で発展したからだろう。同様に理工系において、数直線は「→」と左から右へと増加する。プログラム上もこれに則り、「→」と左から右へ増加する。
PCで読む漫画と紙で読む漫画、同じモノでも感触は違う で語られるようにPC上で漫画が読みづらいのはPCの進行方向が「→」と左から右だからという面もあるだろう。コンピュータ的に考えると「→」と左から右が増加、加速、時系列的である。しかし、これだけの理由でゲームが「→」と左から右へ進行すると考えても良いのだろうか。
任意スクロールのディフェンダーにコントローラーに左右があったかどうかはわからない。しかし、ゲームのインターフェースは左に方向ボタン、右にアクションボタンという配置が一般的になっていった。これは、右利きが多いからだろう。右にアクションボタンがあるのだから、パンチや弾などの攻撃は「→」と左から右へ進むべきであり、すると自機は右向きで、その結果スクロールも右向きになったという考察。つまり、ゲームの進行方向が「→」と左から右なのはインターフェースが決定付けたと。スカイキッド - Wikipedia なる左スクロールの異色のゲームも生まれているが主流とはなっていないのはインターフェースと合致しなかったからか(参考:スカイキッド - STG系譜)。
右にアクションボタンが配された理由は、トリガーを右で引く、また右利きの人が連打する場合は右が良いからということだろう。ただし、左が方向ボタンで、右がアクションボタンが扱いやすいのは先天的なものか後天的なものかは不明である。ちなみに、「武力ONE」という格闘ゲームは右がレバーで左にボタンが配されていたらしい。
右にアクションボタンが配されるインターフェース上の仕様からゲームは「→」と左から右へ進行すると考えられる。ゲームで1Pが左側なのも右にアクションボタンがあるからか。しかし、それでもやはりゲームが映像作品であることに代わりはない。映像のロジックに則り「←」と右から左進むと大変気持ち悪いのは何故か。ゲーム脳だからか。
スーパーマリオブラザーズでマリオは左から右へ進む。スクロールはしないがドンキーコングでもマリオは既に右を向いている。エキサイトバイクも「→」と左から右へ進む。あの宮本茂がマリオを右向きにデザインしたのだからきっと意味があるはずだ。
先に述べたように、視線は「→」と左から右の方が動かし易いため、目標が「←」と右から左に流れると加速、「→」と左から右へ動くと減速して見える。流れる文字などは「←」と右から左に動いた方が視線と交錯し捉え易く読みやすいが、踊りなどは「→」と左から右へ移動した方が視線の向きと一致しじっくりと観察できる。ゲームでは自機を自分で操作する。常に自機を見ているわけで、自機はじっくりと観察できた方が良い。また、敵の攻撃は右からやってきた方が視線が交錯するので捉え易い。つまり、自分で操作するゲームでは映像のロジックが逆転していると言える。これは、物語は受け入れる受動であるのに対し、ゲームは自ら操作する能動であるため、右と左の進行方向の働きが逆になったといえるかもしれない。能動的な操作の場合、進行方向は「→」と左から右であるという点について、ビデオなどどの再生ボタン、早送りは「→」矢印であることを付記しておきたい。
ところで、同じ宮本茂がディレクターであるスパルタンXは最初の階でトーマスは左を向き「←」と右から左へ進む。2階に上がると、右向きで「→」と左から右へ進む。スパルタンXは奇数階で「←」と右から左へ、偶数階で「→」と左から右へ進む。面の構成としては、左向きの奇数階は敵をなぎ倒し、右向きの偶数階は障害物を避ける面である。視線という観点で考えると、トラップは右から来たほうがよけやすいので偶数階で「→」と左から右へ進むのは説明できるのですが・・・。
ゲームは左に方向ボタン、右にアクションボタというインターフェースから右に攻撃出るべきであると同時に、視線が「→」と左から右へ移動しやすいことから、「→」と左から右が進行方向である。しかし、スパルタンXの1面は「←」と右から左へ進む。2面で「→」と左から右に逆転する。つまり、スパルタンXは奇数階で「←」と右から左へ、偶数階で「→」と左から右へ進む。全5面であるから最後のシーンでトーマスは「←」と右から左へシルビアを助ける。これは思いは「←」と右から左へ伝わるという映像のロジックに則っているかもしれない。これはストーリーは似ても似つかないが映画スパルタンXを元にしたゲームだからか。
スパルタンXが映像のロジックに従ったかどうかはわからないが、ゲームのロジックに従わず映像のロジックに則ったゲームがある。その代表的な作品がFFである。
FFの戦闘画面は右に主人公、左に敵が配される。また、4,5,6においてバックアッタックなどの不意打ちの場合に敵が右、主人公が左に追いやられる。これはまさに映像のロジックである。サイドビュー形式の戦闘を採用するRPGなどでは右に主人公が配置されるのが一般的である。スクウェア作品ならば、半熟英雄、ロマシングサガシリーズ。スクウェア以外のRPGだとAAAのスターオーシャンやヴァルキリープロファイル、任天堂のファイアーエムブレムやバンプレストのスパロボシリーズなども主人公達は右に配置される。また、ロマサガではマスコンバットやトレードでもプレイヤーが右側で、「←」右から左へと攻める。これは、先に述べたように物語のロジックにおいて「←」右から左が加速であるから、その方が勢いがあることにもよるだろう。
これらは作品はヴィジュアル重視のゲームである。FFは1より魔法効果や大きな敵などビジュアル重視である。スターオーシャンやヴァルキリープロファイル、スパロボなどは派手は戦闘演出が売りでもある。つまり、映像重視であるからこそ、映像のロジックである右に主人公、左に敵と舞台の上手と下手に倣ったのかもしれない。自身でプレイすると言う観点から考えると「→」と左から右のはずだが、RPGでの戦闘で自機を重い通りには操作できない。まぁスターオーシャンやヴァルキリープロファイルは割と操作できますが。
この作品群の中で、半熟英雄は非常に興味深い。先ず、半熟英雄で戦闘に勝利した場合は、「←」と右から左へ侵攻する。さらに、半熟英雄は物語が舞台上で進行する。舞台でストーリーが進むなら、舞台のセオリーで戦闘も進めるべきだろう。FFもストーリー回しが舞台のようだ。特にFF6までは固定された画面でキャラクターがセリフとその位置関係のみでストーリーを進める。この時プレイヤーは介在できず見るだけであるから、舞台のロジックに則っているだろう。FFに関しては以下のような話がある。
マンガやアニメの世界で培われてきた表現方法を、スーパーファミコンというハードの性能のおかげで取り込めるようになり、よりキャラクターを立てる演出を使っていくようにしたんです。
FF4からではあるものの、マンガの表現方法を取り込んでいったという点は非常に興味深い。ただ、戦闘部分と異なりRPGのストーリー部分では王様が上に配置されたり、進行方向が上と、上手が上なため左右よりも上下の方が意識しやすい。例はあまり無いが、FF5のムーアの森で敵であるエクスデスはバッツたちを「→」と左から右へ攻撃している。
ゲームに映画を持ち込んだという点では、メタルギアシリーズのディレクターである 小島秀夫 は外せない。特に、スナッチャーは映画的手法を取り込んだ初めてのゲームと言われている。そんあ映画好きの小島秀夫であるから映画の手法、つまり映像のロジックを使っていないはずがない。例えば無線。MGSの無線画面では主人公であるスネークが右で相手が左である。例えばMGS3のOPでは、任務に向かうスネークたちを乗せた飛行機は「←」と右から左に進行。スネークがHALO降下する際も「←」と右から左。そして、パラシュートが減速する場合は「→」と左から右である。また、ボスを倒した後の帰還するためのWIGは「→」と左を向き、右へ飛んでいくのも映像のロジックである。
このようにゲームであってもサイドビュー形式のRPGの戦闘や、ムービーシーンは映像のロジックに則っている。この辺、格闘ゲームなどで映画的手法を使う演出がチグハグになってしまうのだが。
映像のロジックが「←」と右から左でゲームのロジックが「→」と左から右と左右が逆転するのは映像は受動的でゲームは能動的だから。自分で操作するゲームは「→」と左から右に進行するからマリオは右を向いているのだ。
なんだか、だんだん「左から右」と「右から左」がごっちゃになっていっててワケワカメ。しかし、着眼点は新鮮でした。
プログラミングする時の座標系の問題ではないですか?左上を原点としてx座標は右向きに大きくなっていきます。反対にすると、x座標にマイナスが入ってしまいます。マイナスが入ると言うことは、1ビットそれに使われてしまい、正数だけの時と比べて、正の座標の表現範囲は1/2になります。また、原点の0が入ってしまうため、x座標をわるときに、必ず、0で割った場合の場合分けをプログラムに実装する必要があります。まぁやろうと思えば、初期位置を大きな数字にしておいて、ゴールのx座標を0にすればいいだけですが・・・。ちょっと面倒かも。
映像的に言えば、右は強くて、左は弱いので、左から右に行くということは、逆風の中進むというイメージです。何かに挑むというスタンスが、ゲームの流れを左から右にしている、ということになります。横スクロールシューティングも左から右ですよね。この辺、右から左に行くマリオを想像すると、感覚的に理解できるんではないかと。というか、感覚的にしか理解できないかと。
ゲームが←スクロールなのは、ゲーム中に文字情報があるからじゃないんですか?「Score」とかの固定情報だけでなく、進行につれて現れる「1UP」とか「Laser」とか。ゲーム中のストーリーパートで、セリフなどを読んだりもしますよね。なので、ゲームにおける横書きの文字情報の存在、これが一番大きいと思うんですが。
これ、主人公左、敵が右というより、「強いやつが右(上手)」が原則かと。上手から風が吹いているというのはその通りで、右に位置するものからはプレッシャーを感じるし、左に進むのは勢いがある(が、逆に困難に打ち勝つ達成感が弱い)というのが映像の原則のハズ。ゲームの場合は、右にアクションボタンと同時に移動レバーが左なんでプレイヤーキャラ左が直感的、ってことも重要そうです。
地球を北半球を上にした場合、自転する方向が右にスクロールするのも何か関係しているかな。オーストラリアでは逆とか。
>ymlabさん。プログラムも一因だと思います。それは作り手の視点で、デザイン的にはプレイヤの視点も重要かなと。
>fk_2000さん。それはどちらかと言う時計かなーと言う気もしますが。後、実際オーストラリアに行って太陽が北天するのを観るのはちょっとした感動でした。
はじめまして。>RPGの戦闘〜は映像のロジックに則るというのは、「こともある」程度のものではないでしょうか。例えばポケモンは自分が「左」下、ですよね。(まぁこの場合上下の関係の方が大きいとは思いますが)それに倣ってか、RPGの中でもポケモン系のゲームでは自分は左から右へ攻撃しているケースも多いように思います。メダロットとか、アルルの冒険とか、スペースネットとか、ロボットポンコッツとか…。それから、普通のRPGでもテイルズは左から右、だったような。モンスターメーカー3とか魔導物語のMDのやつとかSFCのとかも。ついでにゴエモンの天狗党なんかも挙げておきましょうか。SRPGの戦闘シーンでは、左から右も結構有る気がします。アルバートオデッセイとかファーランドストーリー、ナージュ・リーブルとか。例えが古いのばかりで申し訳ありません(^^; まぁ、いずれにしてもSTGやACTでの右から左(北斗の拳?)、に比べるとずっと多くて、比較的「どちらでもいい」ものなのではないかな、と。逆に考えれば、「RPGやSRPGではどちらでも良くて、ACTやSTGでは問題になること」が理由でACTやSTGはことごとく左から右なのかな、とも思います。
>btvさん。すんません、挙げている例をほとんどまどもにプレイしたことがありません。魔導物語はぷよぷよで1Pが左だから、ゴエモンも元々アクションだからかもしれません。ポケモンに関しては、手前と奥の関係で自身のポケモンを見せるために、DQなどの戦闘画面の軸をずらした形だと思います。「攻撃しろ!」と命令するから「→」なのかなーと。
やっぱり(昔の)ゲームは座標であって、原点が左下で、ジャンプする時は右上に向かって放物線を描いたほうが納得しやすいし、右のほうから襲ってくる敵との距離感覚を掴みやすいのだと思うあと、武力ONEは確かに右側レバーのゲームだったけど、左側ボタンで移動&ガードして、右側レバーで殴る蹴るの方向指示だけでした
漫画の場合は左向きの方がキャラの前向きな姿勢を示すことになります。なぜなら、漫画は右から左に読み進めていくから。ゆえに、キャラが右側を向いているということは、それは過去を見つめる名がティヴな視線、逆に左側を向いているということは、未来を見つめるポジティヴな視線と読者が無意識のうちに感じ取ってしまうんですね。演劇における、左右の強弱の概念は近年薄れてきており、あまり意識しない演出家さんもいます。しかし、漫画の場合は、「読み方」の問題なので、作家はいつまでもそのことを意識してネームを切ることを要求されるでしょう。日本の漫画が韓国で出版されるとき、左右は逆になりますので、意味を違って受け取ってしまう危険があることが懸念されます。
>vdmさん。最古ではないけど、古いのはポンとかですかね。後はオシロスコープのテニスとか。これらのゲームの1Pがどちらかを知りたかったのですが調べ切れませんでした。そ武力ONEの操作系が良く分からなくなりました。
>epsomさん。演劇もですがテレビもだいぶ薄いと思います。マンガに関しては意識するしないに関わらず、どしても「←」と右から左に読むのが決まっているからでしょうが。
左右上位の序列等、感覚のルーツについては分かりませんが、左右を論じる前に上下さし戻って考る事がヒントになるのではないかと思います。 奥行き、天、向こう側、重力が上から下なのだから撃ち放たれるもの以外は全て上から下これは間違いなく万国共通です。 あと、RPGについては、鶏と卵になるかもしれませんが、現われたモンスターに主眼を置いてるからじゃないでしょうか。
上下は万国どころか、惑星に住む宇宙人共通なんで話題としてあんまり面白くないかなと。オズマ問題も宇宙人にどうやって左右を伝えるのか、と言う問題ですし。RPGに関しては、敵が「→」と左から右へカットインする演出もありますね。
これまで文化的に作り上げられてきたしきたりと、マッチしているかどうかですか?もし←に進むゲームだったら、ここまでヒットした「マリオ」はうまれなかったの?
プログラムでは、画面の左上を座標(0,0)とし、x軸は右に向かって大きくy軸は下に向かって大きくなります。数学の座標とは上下が違いますが、左右方向では右ほど数字が大きくなるのが基本です。ファミコンなどの時代ではスクロールのための機能がマシンに用意されていましたが、中心座標である(0,0)のオフセットを指定するものでした。つまり、スクロール位置を10ずつ増やしていくとすれば、背景が10ずつ左に流れていくわけです。左向きにスクロールする場合、数字をどんどん減じていかねばならない。通常の感覚では加算するようにプログラムしようと発想する方が自然ですよね。そういった、作る側の事情というのがあるように思います。
時間の流れって左から右のイメージがありますが。グラフの時間軸(株価とか)大抵そうですよね。だから横スクロールのゲームが左から右へ行くのに違和感は感じません。
>Nagiseさん。作り手思考ならディフェンダーなんて異端の作品が一番最初に出るのも辺だと思います。というか、プログラムの件に関しては一応述べているのですが、プレイヤ視点ではないのでまとめには載せておりません。
>MORY。グラフや数字が「→」と左から右なのは左から右に書く横書き文化で発展したのと、グラフなどは絵なので「→」と左から描いた方が描き易いという理由だと思います。数学上などの時間軸が「→」だからゲームも「→」もまとめには掲載しておりませんが。
舞台や映画とゲームの根本的な違いについて,もう少し考察を加えたらいかがでしょうか?前者は舞台や画面によって視界が固定されており,視聴者は受動的な対応となりますが,後者においてはスクロールによってゲームの世界を任意あるいは自動的に視界を変化させることができ,さらにプレイヤーが操作することによって新しい状況へと進んでいくことになります。このような見る側のスタンスの違いが受け取り方を変化させているのではないかとも考えられます。
>通行人Bさん。スクロールの背景まで注目するとややこしいので。映画やテレビに関して、対象物が移動する際にカメラがそれを追うのか、見切れるのかを考えるのも面白いかなぁと。ところで、受動と能動に関してそこが主眼なのですが?
スーパーマリオの場合はファミコンパッドによる操作感も大きく影響していそうです。→に進むということは、左手の親指を体の内側にねじって力を入れるという事になります。ぞうきん絞りを思い出すとわかりやすいと思いますが、手は外側にねじるより内側にねじり込む方が力を入れやすい構造になっています。→に進みたいという欲求が人体の構造的に無理なく反映されるので、その一体感を重視した結果のゲームデザインなのではないでしょうか。ゲームの場合は「操作感」というのが非常に重要ですから。
確か、左→右には“希望へ向かう”というニュアンスもあったように思います。多分、富野さんの『映像の原則』に載っていたと思うのですが…打ち切り漫画なんかで、「俺たちの戦いはこれからだ!」というようなラストがよくありますが、その際の構図としては左→右も多いように感じます。男坂とか。
左に方向キーに関しては簡略版に追加してみました。ゲームの場合は希望と言うか「挑戦」ですかね。まぁ理由付けはいろいろできるかなと思います。
スクランブルのスクロールが記述と矢印逆じゃないですかね?それはともかく、マリオのように横スクロールするゲームだと主人公は大抵中心にずっといます。結局画面で動いているのは背景の方なわけで、背景が高速で流れるほうがスピード感が出ると言う意味があるのでは。テイルズとかもそれにあたる気がします。逆にFF初期など固定画面だと、主人公の動きは画面に対して大きくなるので右から左の方が勢いが出る、と考えるとどうでしょうか。
記述は気付いた箇所直しました。随分多かった。確かに背景は「←」右から左に動き気が。巻物を固定して進める場合を考えると実にしっくりしますね。次回考察する際に参考にさせてもらいます
大変興味深く読ませていただきました。誤植があったので報告を。>スーパーマリオブラザーズでマリオは右から左へ進む。私も、ゲームが右への進行なのは「右上位の法則」だと思います。ゲームは基本的に主人公が弱く「死に覚え」で攻略するものですし。最初は弱者だった主人公がどんどん右位置を獲得していくことでカタルシスが生まれる物だと解釈しています。
誤植の指摘ありがとうございます。左から「挑戦」という考え方も面白いですね。第二版を作る場合は参考にさせてもらいます。
コントローラーですが、ゲームの発展の歴史に影響しているかどうかは分かりませんが、PCゲームでは方向を右手で入力するゲームが多いです。カーソルキーを使ったものだけでなく、ローグでも右手で方向を入力します(アクションじゃないけど)。
元々カーソルキーが右にあるからですかね。PCを考え出すとFPSのマウスとキーボード操作とかあるので面倒くさいです。本件は横スクロールゲームに関するのでPCゲームでの横スクロールゲームを探してみないとなんとも。

 

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