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生まれ変わりとは?/ マイワン

[ 166] 生まれ変わりと生命の連続
[引用サイト]  http://www.adamski.jp/philosophy/ph000005.htm

生まれ変わりという概念は、古来の仏教の輪廻転生と相通ずるところがあるということは誰しもが指摘することである。この「生まれ変わり」ということの真偽については、多くの立場の見解が入り組んで、大きな議論を巻き起こしている。筆者は生まれ変わりの事実を前提として、その意義について述べてみたい。
地球人は少なくとも誰しもが多少の程度の差はあろうとも"死"についてかなりの恐怖心を内在させていると思う。われわれがこの"死"についてほとんど無知であるためではないだろうか。人間は未知なる物事に対して恐怖心を起こすのが常である。その反面、未知なるものを何とかして解き明かそうとする内部からの衝動があることも事実である。
人は人生を一回限りのはかないものと決めつけ、あきらめきっているか、どうせ70年の短い生涯であるから、面白おかしく生きなければ損であると考えている。そうした感情はなくとも、生まれ変わりなど空想上の産物であって、単なるロマンに過ぎないと決めつけている人々がほとんどであろうと思う。
あらゆる宗教団体は死後の霊魂は霊界なるところに行き,あるいはシャバでの行い如何によって天国に昇るか地獄へ堕ちるということを公然と説いている。
死とか生まれ変わりに関してはほとんど科学的にも医学的にも解明されてはいない。したがって誰にもそれらに関して述べることは出来ないが、現在、われわれはこの問題をあまりにも曲解し、混乱させていると思う。
催眠術は一般に知られるところとなり、かつてはUFOや超能力ブームと並んで大きな話題となった。その当時,テレビによる催眠術ショーが数限りないほど放映された結果、茶の間の視聴者は一種のゲームとして催眠術を受けとめた。しかし興味本位の催眠術は極めて危険である。催眠は実は科学的なものであるが、応用法を誤まれば心の中に激変を生じ、自己を失うことになるかもしれない。
しかし、近年心理学者や精神病学者が、この問題に科学的に、まじめに取り組んで、素晴らしい結果をもたらしているというのも事実である。患者が精神的な動揺を起こしている場合、その混乱した印象を分析、適当な暗示を術者が患者に与えることによって、的確に全快させた例が数多くあるからである。
さらに催眠は心を極端に静め、デリケートにするため,心が忘れかけていた記憶を容易に引き出せる状態にできるという。
精神医学者であり、傑出した催眠術師として知られるアーナル・プロクスハムは、数百人を催眠術によって年齢を逆行させ、ついに0歳以下にまで逆行するよう暗示をかけた。つまりこの世に生まれる前の記憶を引き出そうというのであった。この世が一回限りであれば、つまり前世というものがなければ何も語れないはずの被験者が、前世の模様を驚くほど詳細に、しかも当の本人の知らない言語を巧みに使いこなして、語り続けるのである。これに関する詳細は省略するが、被験者の証言と史実が一致する例が見られ、その証言が作り話や幻覚でない事実によって、生まれ変わりは一歩その真実性を裏付けることにならないであろうか。しかしこの問題は,この逆行催眠を皮切りに21世紀には遅かれ早かれ解明される時が訪れるだろう。
「時がたてば、あなたも絶対の境地に到達できます。そうなれば、現世でいろいろな物事を学ばなくとも、何でも出来るようになるはずです。
再生輪廻を信ずるか否かは、実際には問題ではありません。人間だれでも、前世での生活を経験しているはずなのです。生まれて死んで、また生まれるのは、生命の法則です。ただ『私は、いったい何なのか? 前世で生きていたことがあるのだろうか?』と自問したときに、初めて前世のことが思い出されるだけのことです。」
"死"についてアダムスキーは次のように述べている。「金星人は新しい肉体を得るためには時期が来ると喜んで古い衣服(老化した肉体)を脱ぎ捨てます。故にわれわれの言う"死"という現象を彼らは恐れません。宇宙は絶え間なき変化の状態にあることを知っているからです。彼らが他の惑星に移動する(生まれ変わる)ときは、その惑星の材料から作られる肉体が与えられ、それはその世界の条件によく適合していることを彼らは知っています。それは一軒の家から新しい家へ移動するのと異なりません。古い肉体の化学成分は目的を果たし、再び利用されるために別な変化過程に入って行くことを彼らは知っているのです。」
アダムスキーによれば人間には15,6回の生まれ変わりのチャンスが与えられているといい、生まれ変わりに要する時間は平均3秒という。この時間に関しては,アダムスキーに少年の頃から仕えていたというスティーブ・ホワイティング氏がコメントを与えられた。それによると、正確には3秒ではなく、瞬間的に出生した赤ん坊、母胎からでて初めて大気を吸い込んだ瞬間の赤ん坊に魂が移行するという。受精した瞬間ではない。この瞬間的に移行するということは、例えば山形にいながら東京の上野駅のホームを思い描いた瞬間に心がそこに行っている速度と同様のものと思われる。何故これほどまでに瞬間的に、しかも他の惑星までという遠距離にもかかわらず、瞬間的に移行できるのかは謎である。
しかしさらに不思議なのは、死んだ瞬間に、ある魂の目的に合った赤ん坊が生まれ出なければならないことになる。この問題については後述することにして、この15,6回の生まれ変わりと、生命の連続について述べてみたい。
ここで一本のリンゴの木を例にとって考えてみよう。春になると素朴ながらも愛らしい花々を咲かせ、太陽の愛と祝福を受けて秋には甘酸っぱい実を結ばせる。冬が来ると来春の準備をして、静かに新たな芽を暖める。この自然のサイクルは何十回か繰り返され、ついには枯れてしまう。そして実を結ぶことがなくなったこの木は構成原子や分子は次の役割を演じるために再構成される。
このバランスのとれた自然の掟は人間の生命の法則にもあてはまると思う。何故人間の生まれ変わりの機会が15,6回に限定されるのかと言えば、リンゴの木と同じように役に立たない、自然に逆らった生き方をする人間が、もはや宇宙的自覚に目覚めなければ、この15,6回の生まれ変わりを最後に,その個人は全くこの宇宙から消されてしまうことらしい。
しかし、自然の法則を自覚し、宇宙の意識と一体化すれば、宇宙の法則のもとに生きることになり、永遠の生命を得ることになるというのだ。しかし残念なことには、15,6回の生まれ変わりの満期に達している地球人がかなりいるともいわれている。
生まれ変わりを扱う際に最重要事とされるのは、記憶であると思われる。なぜなら記憶というものを持たなければ、昨日の失敗を今日も繰り返すことになるかもしれないからだ。しかし私たちは、今日を今生、昨日を前世とするならば、昨日のことを全く忘れてしまっているのである。私も含めて大部分の地球人は前世の記憶を持ってはいないのである。前世でだれであり、どんな職業に就き、どのような目的を持って生きたかについては忘却の彼方に押しやられてしまっている。高度に進化したスペース・ピープルは幼児期に自分の正体を知り、前世の体験の記憶にしたがった生き方をするという。前世と同じ生き方をしないことが重要であるともいう。
しかし、われわれも時折過去のことについて思い出すチャンスが与えられることがある。初めて出会ったはずの人に非常な親密感を覚え、あたかも以前から親しい友人同志であったような強烈なフィーリングが起こることがあるし、映画や写真などで異郷の地を初めて見るにもかかわらず、何かしら強い郷愁にかられたりすることがある。音楽のメロディーもそうで、どこかの初めて聞くはずのメロディーが、どこか遠い昔から知っていたような感覚にとらわれたりすることがある。
これらは確かに前世でその人と友人であり、その地に住みそのメロディーを歌っていたと考えられるのである。そうでなければそうしたフィーリング湧き起こるはずがない。
また、生まれながらにして絵が好きだったり、音楽的才能を幼い頃から発揮したりする例があるし、天才児といわれる子どもがいたりする。これは紛れもなくその原因を前世に発していると考えた方がはるかに合理的ではないだろうか。私たち自身も、あることに特に興味があったり、得意だったりすることがあるし、またある特定の国に興味を示したり、行きたかったりする場合が非常にあり得るのである。私のある知人はペルーに計り知れない郷愁を感じて、2度ほど長期間滞在してきているが、おそらく過去性に於いて何度かペルー人であったのだろう。そういえば顔つきもそんな感じがする。
ホワイティング氏が言うには、何年かかろうとも、いくらかかろうとも、絶対に行きたいところへ行くべきだと力説している。そうすれば前世の記憶を取り戻す重大なきっかけをつかむことになる可能性がたぶんにあるからだというのだ。
私の知人で過去性を透視出来る能力を持つ人がいるが、彼の言うところによると、だれにでもその能力は備わっており訓練さえすれば透視できるようになるという。どうすればよいかといえば、人間の心の状態を表現しているのは顔の部分であり、特に目は透視するためのポイントだという。他人の顔と目を見つめて内部からの印象を感受すればいいのだと語っていた。これはフィーリング的なもので、そのフィーリングを高めればよいわけだ。
これもホワイティング氏が述べられたことであるが、地球人はすべての過去世を持つという。地球人は地球よりもさらに低レヴェルな惑星に生きていたことがあるためだというのだ。同様に精神的に高度な発達を遂げた金星人や土星人も、かつては地球人として生き、地球上で地球のレッスンを受け、それをマスターした後に進化した惑星に生まれ変わったらしい。
つまり、この生まれ変わりは地球上だけのことではなく全宇宙が舞台になっているということになる。
それではどこの惑星の、どういった環境に生まれ変わるのか、そしてそれは誰が決定するのかという疑問が起きてくる。久保田氏によれば自己の実体(魂)がセンスマインド(心)が知ろうが知るまいが、実体の移行前にすでに実体自体がすでに決定していると説明している。仮に実体の選んだ環境が貧困で、不遇であり、センスマインドが嘆いてもどうすることも出来ないのである。
人間の生命の連続において、親子よりも兄弟姉妹の絆が続くことが多く、何回かの転生後に再会するケースがあるともいわれ、夫婦の絆も偶然に作られるのではなく、やはり前世との関係があるという。前世の自分と同じ精神レヴェルの相手と結ばれるらしく、これも魂の目的の遂行に最適の相手を本人の実体が引き寄せるのであって,偶然ではないのである。
人間が存在する限り何らかの存在の理由があるはずである。各人の魂の目的があるはずであって、それに気づき、生まれ変わりを経る中で、その目的を遂行して行くことこそ私たち人間の生きる目的なのではなかろうか。
さまざまな環境を選び、体験を積みながら次第に自己の魂の目的に気づき成長しながら、15,6回の生まれ変わりのチャンスを無限とし、生命の連続を保とうとするならば、宇宙の意識と自己のセンスマインドを合体させる必要があるのである。その時、自己の正体に気づき閉ざされていた記憶の扉が開かれるのある。

 

[ 167] 生まれ変わりって本当にあるんですか。 - livedoor ナレッジ 知識、知恵のカタマリ
[引用サイト]  http://knowledge.livedoor.com/10004

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そんな事無いでしょう。占いで前世がとかよく解らない事を言っているけど、汚いよね。自分の言動に責任を持ってないしね。精神論で言葉をつなげていけばいくらでも話はふくらむしね。宗教上の論理観や価値観は尊重するけれど、人に押し付けてはいけないと思っています。
でもこれだけいろいろな時と場所で「人は生まれ変わる」って言われているんだから、あるのではないでしょうか。
昔、五島勉?だったかな「カルマの法則」がこのテーマを扱ってましたね。ちょっと昔の立花隆「臨死体験」もこの問題に触れています。
普通に考えればありえないように思いますが、人間の体、脳には不思議なこともたくさんあって、魂の存在とか、人間の能をプログラムした創造主の存在を思ったりもします。
生まれ変わりがある、というのは死の恐怖を和らげるための宗教、造り話とは思いますが、ちょっぴり信じていると死に対しての恐怖感は薄らいでくれるような気はしますね。
その荒れ果てた星で、その人はさまざまな困難を体験します。そして、年を取り死にいたります。でも、その人は死なないのです。肉体は死に至るのですが、何度も生まれ、年を取り再び死を迎える。永遠に・・。
とはいえ、一般のわれわれには過去生(前世)の記憶が、残っていないので、あるといえばあり、無いといえば無いのでしょう。
私は、どちらかといえば信じているほうです。初めて会う人に、言いようの無い親しみや懐かしさを感じたことや、初めて行く場所であるのに知っている気がすることがあったりします。思い込みかもしれませんが。
因みに、何かで聞いた話ですが、人と動物や他の生物は何かが違うらしく他のものには生まれ変わらないとのことでした。出所が確認できないので参考程度に。
生まれ変わりは、無いでしょう、もしあれば死ぬ必要もありません。また、あったとしても、その人は同じ生き様をするとおもいます。天国、地獄、生まれ変わりそれは、一種の宗教での、教えです。信者を合わせれば儲となるでしょう。全ての生き物は、生存中は、ほとんど苦しみ、悩みで、生涯を終えます。生まれ変わらないほうが、最高の幸せです。死ねば楽になる。病状中で、苦しんでいる人は、奇麗事はなしで、死にたいと思っているが、大勢いると思います。医学の発展は、すばらしい、でも、ただ生きながらえるなら、治療の必要があるでしょうか?尊厳死あるいは、治療を打ち切る
そのほうが、ただ、苦しんで生命をながらえているひとにとって、どちらがいいのか、考えて見ることも、大きな議論に
うーん・・・やっぱりテレビですから・・・話そうと思えばそんな事は話せますから・・と思います・・・。(?)
ただ、世間で言う「生まれ変わり」というものはあるのかと訊かれると、どちらともいえないと答えるしかないです。
では、親に虐待される子は「虐待されに、おまえが選んで来たんだろ」ってことにはなりませんか。。虐待する親は「前世でもこうだったから」ってなりませんか。。
生まれ変わり、そんなものは個人の信条の問題じゃないでしょうか。TVを見れば、外国人で前世の記憶がある人がいた、とかいう情報もあります。仏教やヒンドゥー教では、輪廻転生の考えもあります。でも結局、人間誰しもに本当に前世がある、ということは証明できていません。僕の思う限り。分からない。あるともないとも言えないでしょう。
やはり前世は信じるかどうかであって、人生観のひとつでもあり、それは個人次第だと、そう思います。他人に押し付けるものでもないと思います。
ちなみに、全ての命で輪廻しているのなら、毛虫にもアリにも微生物にもなりうると思います。どれも命ですから。

 

[ 168] 「生まれ変わり」の仕組み-「あの世」への帰還(1)
[引用サイト]  http://www.sol.dti.ne.jp/~sam/realaim/NO3_1.html

本節では、ジョエル・L・ホイットン博士(トロント大学医学部精神科主任教授)が、数多くの被験者に対する退行催眠から解明した調査結果を中心に、他の研究者たちの報告を交えながら、「生まれ変わり」の仕組みについて整理してみよう。
ホイットン博士は、退行催眠を用いて、数多くの被験者から何千年にもわたる過去生の個人記録を調査しているうちに、ある重要な事実を発見した。それは、被験者たちが肉体に出たり入ったりして経験した過去の試練や成功、失敗などが、全て現在のその人物の人間形成に役立っているということである。各人の生まれ変わりの経歴をたどっていくと、一見それぞれの人生に全く脈絡がないように見えても、実は大きな理由があったのだと言うことが、必ず明らかになったという。ある人生での行動や態度が、現在あるいは将来の人生での、環境や挑戦目標を決定していたのである。
ホイットン博士が、偶然に「中間生」(あの世)の存在を発見したのは、ポーラ・コンシディンという42歳の女性に退行催眠を行っているときであった。ポーラは、安定した気質の持ち主で、深い催眠に入ることができ、暮らし方や趣味、行動などもごく普通な、北アメリカの典型的な主婦であった。彼女は、ホイットン博士から通算100時間以上にのぼる退行催眠を受け、自分の長い転生の歴史を、理路整然と物語った。
ポーラの口から語られた過去生をたどっていくと、古代エジプトの奴隷の娘として生きた時にまでさかのぼったが、ほとんどが女性としての人生であった。例えば、「テルマ」という名前の人生では、ジンギスカンの時代のモンゴルの族長の娘であったが、16歳の時に戦で殺された。また、1241年に34歳であった「オーガスタ・セシリア」という名前の人生では、一生のほとんどをスペイン国境近くのポルトガルの孤児院で過ごした尼僧であった。さらに、1707年に17歳であった「マーガレット・キャンベル」と言う名前の人生では、カナダのケベック市郊外に住み、のちの毛皮を商う猟師と結婚した。
そして、ポーラが、1822年にアメリカのメリーランド州の農場で生まれ、若くして農家の階段から転落死した「マーサ・ペイン」という名の娘であった人生を回想しているときであった。ホイットン博士は、何気なく「あなたがマーサ・ペインとして生まれる前に戻ってください」と指示してみた。しかし、正しくは、「マーサ・ペインとして生まれる前の人物に戻ってください」と指示するべきであった。いわば「生まれる前に戻ってください」と、間違った指示を受けたポーラは、突然、こう語り始めたのである。
「私は・・・・・空の・・・・・上にいます。農場の家や納屋が見え・・・・・朝早くて・・・・・太陽は昇り始めたばかり・・・・・。刈り取りを終えた畑は、真っ赤に・・・・・真っ赤に染まって・・・・長い影ができています・・・・。」
ポーラが、空の上などにいるはずがない。すっかりうろたえた博士は、途方に暮れて、さらに尋ねてみた。
「私の身体の重みで・・・・おなかに気をつけてと母に言ってあげたい・・・・母体のためにも、私のためにも・・・・・。」
このように、自分が自分の上空に浮かんでいる記憶を持つ被験者は、前出のワイス博士による退行催眠実験においてもしばしば確認されているが、いわゆる「臨死体験」の研究でも頻繁に報告されている。例えば、ワシントン大学小児科助教授のメルヴィン・モース博士は、薬物の副作用で意識を失った女性の、次のような体験を報告している。
「見おろすと、病院のベッドに横たわっている自分の姿が見えたんです。まわりでは、お医者さんや看護婦さんが忙しく働いていました。機械が運ばれてきて、ベッドの足元に置かれるのが見えました。箱みたいな形で、ハンドルが2つ突き出していました。牧師さんが入ってきて臨終の祈りを唱え始めました。私はベッドの足元に降りていって、劇の観客のように一部始終を見ていました。ベッドの足元の壁に、時計がかかっていました。私にはベッドに寝ている自分の姿も、時計もよく見えました。午前11時11分でした。その後、私は自分の身体に戻りました。目が覚めた時、ベッドの足元に自分が立っているんじゃないかと捜したのを覚えています。」
また、ダラス市民病院の医長を勤めたラリー・ドッシー博士の確認によると、手術中の緊急事態で1分間ほど心臓が停止したサラという女性患者は、全身麻酔で意識を失っていたにもかかわらず、手術室の光景を確かに見ていたうえ、手術室から抜け出て他の部屋までさまよったという。心臓が停止したときの外科医と看護婦の緊迫したやりとり、手術台にかかっていたシーツの色、主任看護婦のヘアスタイル、各部屋の配置といった手術室内部のことのみならず、手術室外の廊下の手術予定表に書いてあった走り書きや、廊下の端にある医師控え室で手術が終わるのを待っていた外科医の名前、麻酔医が左右別々の靴下を履いていたというような些細なことまで、サラの証言はどれも正確なものであった。しかも、これらの情報は、例えサラに意識があったとしても、決して見えるはずのないものであった。なぜなら、サラには、生まれつき視力がなかったためである。
なお、18種類もの学位を持つエリザベス・キューブラー=ロス博士の研究によると、過去10年以上も視力がなく目の見えない患者たちが、臨死体験中に、自分を見舞いに来た人々の洋服や宝石の色、セーターやネクタイの色や形までを確かに「見」て、正確に描写することが証明されている。
さらに、エモリー大学心臓学教室助教授のマイケル・B・セイボム博士は、臨死状態で自分の身体の上空に浮かんで様々なものを見た患者たちについて調査し、「肉体から抜け出している間、本人の意識は、肉体ではなく『分離した自分』の中にあるのだが、完全に覚醒しており意識水準も高く、驚くほど思考が明晰になる。」と報告している。

 

[ 169] 超心理学講座・生まれ変わり事例の研究
[引用サイト]  http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/7-3.htm

以下では,イアン・スティーヴンソンの膨大な研究によって開拓された研究分野を紹介する。肯定するにせよ否定するにせよ,「生まれ変わり」について考えようとする者はまず,彼の研究の要約を邦訳した,次の文献を一読すべきである。
その間,乾式複写の発明者チェスター・カールソンの資金援助を受け,1968年にヴァージニア大学に超心理学研究室(1987年には人格研究室と改称)を設け,超心理学事例研究の一大拠点となった(7-1)。1965年にデューク大学の超心理学研究室がラインの退官を期に廃止された後には,ラインの片腕として活躍していたプラットもヴァージニア大学に移り,特異能力者を中心に研究を行なった。ヴァージニア大学のあるシャーロツヴィレは,デューク大学のあるダーラムの北西に位置し,車で3時間ほどの距離である。
「生まれ変わり」とされる典型的なパターンには,次の5つの要素がある。(1)ある人物が死亡するに際して生まれ変わることを予言する。(2)生まれ変わりとされる子供を妊娠する女性が「お告げの夢」を見る。(3)生まれてきた子供に先天的な母斑(皮膚が変色していたり隆起や陥没が見られたりする部分)や身体欠損があり,それが「前世」の人物の,死亡時の身体的特徴と酷似している。(4)その子供が,「前世」の人物の死亡時の様子や家族関係,住んでいた場所などを感情的に語る。(5)また,「前世」の人物にふさわしい行動を見せる。個々の事例は,必ずしもすべての要素を含む訳ではない。スティーヴンソンは,客観的な検討が可能な(3)の要素に注目し,「前世」の人物のカルテや検死報告などによって確認できた事例のみを取り上げている。
生まれ変わり事例は,生まれ変わり(輪廻転生)が「ある」とする文化圏でより多く報告されるが,「ない」とする文化圏でも報告されている。世界中の報告例(2700件以上になる)の内容には共通点が多いので,文化によって事例が形成されると考えるよりは,普遍的に事例が起きているのだが,生まれ変わりが許容されてない文化圏では報告されずに埋もれてしまうと考えるほうが妥当に見える。事例が報告される家庭の社会的地位や経済状態は様々である。社会的地位の高い人物が,低い家庭に生まれ変わる例もある。こうした事例では,子供が周囲とは異なる高貴な振舞いをするので,とくに注目される。
子供たちが「前世」を語り始めるのは,2歳から5歳であり,ほとんど喋れるようになるのと同時に開始される。そして,5歳から8歳まで続くと,通常,ぱたりと語るのをやめてしまう。語られる内容は,「前世」の人物が死亡した時の様子,居合わせた人や物に関して,さらには死亡してから生まれ変わるまでの様子などである。普通,感情の高まりと共に自発的に語られる。「前世」の死から「現世」の生までの間隔は,死の直前という例から数十年後という例まで大きくバラついている。「前世」は,非業の死を遂げた人物であることが多く,殺人被害者の場合は,加害者に対して敵意を見せる。「前世」が,自殺者であることは少ないし,動物であることはほとんどない(少なくとも報告されてない)。
その子供たちが示す行動には,「前世」の家族に対する親近感の表明,死亡時の状況に類似した事柄への恐怖の表明(水や火への恐怖など),「前世」の人物と同様の食べ物の好き嫌い,「前世」の人物を思わせるような遊び方がある。時には「現世」への違和感を表明し,「本当の親ではない,本当の親のところへ連れて行って」などと訴える。また「前世」と「現世」の性別が異なっている場合には,性の違和感が見られる。ただし,性同一性障害の子供たちが社会的圧力で「生まれ変わり」を偽装する例があるので,注意を要する。
生まれ変わり事例の解釈として最初に考えられるのは,捏造説である。生まれ変わりに肯定的な人々が,暗黙裡に共謀して物語を作り,それを語るように子供に教示したという説である。確かに,人間は信念や期待に操られて,ありもしない体験をしたり,誘導的な質問によって,架空の記憶を形成したりする(6-6)。ところが,スティーヴンソンが自ら訪問して集めた事例には,「前世」には,「現世」の村とはとても交流のない遠い村に住んでいたとし,村人は誰も知らないような(正しいことが後で確認される)情報を語る子供たちの例が,多数含まれている。それから,「前世」を語る子供の親は,子供の振舞いに当惑し,むしろ語りをやめさせようとしている場合が多く,話を作って子供に語らせると考えるには無理がある。自分の子供を,例えば「殺人被害者の生まれ変わりだ」とすることの,動機や利点が見当たらない。また,そうした子供が特段,被暗示性が高いということもなかった。
次の解釈は偶然説である。すべてを単なる偶然の一致と片付ける説である。しかし,先天的な母斑や身体欠損は医学的に発生確率が推定されており,極めて稀な「複数の」身体欠損や母斑が,「前世」の人物の傷跡などと一致する場合には,偶然説に無理が出てくる。そして,そうした事例が積み重なっている現状では,他の妥当な説を模索することが求められている。
スティーヴンソンは,「事例報告をつぶさに読んだうえで,各自が自分なりの結論を得るべきであるから,私の解釈は重要でない」としながらも,彼が一連の研究の結果至った解釈を述べている。それによると彼は,2つの超常的解釈を退けて,最終的に,ある種の「生まれ変わり説」を受け入れている。彼が退ける1つ目の超常的解釈は,PSI発揮説である。それによると,子供たちがPSI能力を発揮し,「前世」に当たる死者の状況を遠隔透視したと考えられる。ところが,子供たちには,「前世」を語る以外にPSIを発揮したらしい事実は見られていないので,PSI発揮説の説得力は弱い。親などの,子供たちの周辺人物がPSIを発揮し,母斑などもPKで形成させたとも考えられなくもないが,動機などの面から,それもかなり無理がある。
2つ目の超常的解釈は,人格憑依説である。この説では,「肉体を持たない人格」という実体を認めて,それが肉体にとり付いて支配すると考える。しかし,子供たちに憑依したのならば,それほど支配に成功した人格が,子供たちが8歳になる頃までに一様に憑依をやめてしまうのは,奇妙である。子供たちに,憑依人格と成長する人格とが闘っているような,人格の分裂傾向は見られていない。
最終的にスティーヴンソンが想定している説は,「生まれ変わり」である。彼によると,心的世界(8-3)は,生前の身体的特徴の記憶,認知的・行動的記憶を媒介する機構(彼は心搬体 Psychophore と呼んでいる)を持っており,それによって運ばれた死者の人格の一部が,直接受精卵や胎児に影響する。すなわち,人間の生物学的・心理学的発達は,遺伝要因と環境要因に加えて,「生まれ変わり」という第3の要因の影響(他の要因に比べて小さいが)を受けると言う。
本項の内容はSSPにおけるジム・タッカー氏の講演がもとになっている。タッカー氏は,長年スティーヴンソン氏のもとで共同研究を行なってきたが,最近スティーヴンソン氏がヴァージニア大学を退官したのに伴い,人格研究室を引き継いだ形になっている。なお,冒頭のスティーヴンソンの著書で補った点もある。

 

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