マイワンのサイトです。
案内 デスク 分かる 結婚式 明らか 会員 協会 高知 振込み 増大 事前 チケット 徴収 大変 及ぼす 屈指 手軽 数字 携帯 ナンバーワン 節約 挙げ 今や 残高 抽選 心配 取扱 買っ 手順 改めて

素晴らしいとは?/ マイワン

[ 508] プログラミングは素晴らしい
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/cuzic/

本当のところは、80年代の官僚が行った政策が間違っていたのをしぶしぶ認め、とれていなかったオカネを今さらながら徴収したいということなのだ。
しかし、実際のところ官僚は過去の政策が間違っていたことを認めることはできないし、過去にとれていなかった分を今から徴収するというような理屈を描くことができない。
そのようなタテマエと、ウラの事情との兼ね合いでできあがったのが現在の後期高齢者医療制度なのである。
1935 年生まれは、現在 73 歳だ。つまり、後期高齢者医療制度でより多くの額を支払わなければいけない方々というのは、年金によって、若者よりもはるかに多くの年金を受け取ることができる世代ということである。
1992 年の調査ということは、現在 77 歳前後の人の退職金がピークであるということだ。彼らの受け取った退職金がピークであるということは彼らが他の世代に比べて比較的裕福であるということを意味する。
これほど歴然と75歳以上の高齢者が社会システム上優遇された世代であるとすれば、こんなに後期高齢者医療制度が批判を受けているのは、不思議に思える。その理由はなぜなのであろうか?
その理由は、これらの十分な福祉を受けることができるのが、75歳前後の方(以下、昭和ヒトケタ世代と記す)であって、それ以上の世代に対してはむしろ十分な人生を送れていなかった
1970年代の高度成長期によく聞かれた言葉に、「成長の果実を高齢者に」というフレーズがある。当時の自民党政権を擁護するわけではないが、その時点ではこれは合理的な判断であった。当時の高齢者というのは昭和恐慌・世界大恐慌の時代、「大学は出たけれど」というフレーズが流行した時代に青年期を過ごした世代である。そして、その後の太平洋戦争において、戦地に駆り出されたりそうでなくても非常にひもじい生活を余儀なくされた世代なのである。太平洋戦争期の日本国民の一日あたりの平均摂取カロリーは1800キロカロリーほどと推定されている。大正世代はかなりおなかを減らながら生きなければならなかったのだ。
この世代が昭和ヒトケタ世代に比べて、就職面・人生の質の点で、冷遇されていたことは間違いない。高度成長期には学園闘争にうつつを抜かした腹立たしい「戦争を知らない子供たち」である若者どもへの怒り、恨みも背景に、高齢者への高福祉制度を成立させることになった。
当時を今から振り返って判断すれば、高度成長期における年金制度は、軍人恩給などを利用して拡充させていくべきだったであろう。もしくは、永続させるような高福祉制度を成立させるのであれば、それに見合ったそして、昭和ヒトケタ世代などはその前の世代と違い、就職し年功序列制度を完遂することができた世代であるので、ここまで優遇される必要はなかった。
前置きが長くなってしまったが、優遇されなかった大正世代が十分な福祉を受けることができなかった点に制度の抜けがあり、それを過去の過ちとして制度を作ることができず、さらに料金徴収の簡便さといった運用上の課題を主に念頭において、一律に年金からの保険料の徴収という手段を使ってしまったことにこの後期高齢者医療制度の問題点がある。
本来であれば、後期高齢者医療制度というのは、若者が老人を支えないという趣旨ではなく、優遇された老人が優遇されなかった老人を助けるということを意図して生まれるべきであった。
そして、その趣旨が国民全体において、統一的に認識されるように十分に浸透させていれば、このような混乱にはならなかったであろう。
しかし、それは過去に政策決定上の過ちがあったことを認めることになる。過ちなどは決して、あってはならないことなのた。
このところの、改正建築基準法の問題や消費者庁などの問題では、どちら向きのムードになっているかが重要で、その中の細かい点は無視されている。
後期高齢者医療の問題で政府の説明不足が現在強く指摘されているが、説明不足というような指摘は少しずれた認識である。正確にはムード作り不足であり、根回し不足である。
もうひとつ直近の例として、ネット規制の問題がある。学校裏サイトの調査結果を発表し、保護者の危機感を煽れるだけ煽って、ネット規制を実施可能にしている。
現代日本社会では、ルールとはすなわちムードであり、ムード作りがルール作りだ。ムードを醸成させるために調査結果を周知させ、専門家や文化人からの多くのムードを醸成させるためのコメントを引き出すことが、これからの日本社会の制度設計の重要なステップとなる。
それは、単にそのことに気がつかなかったというよりも、国民が知らないままに進めることが、制度成立のために必要であると判断していたからのように私には思える。
それは後期高齢者医療のためのムード作りという過程がいやおうなく、過去の年金政策の失敗をあぶりだすからだろう。この点については回を改めてまた、深く考察したい。
裏シリコンバレーツアーは、2008年3月に開催された有志の学生・社会人によりシリコンバレーを訪問したツアーだ。最初は5〜6名だと思っていたらあれよあ れよと人数が増えてしまい、最終的に 18 名の大所帯になってしまった。
3月9日(日) 朝に JTPA シリコンバレーツアーの人たちと解散。JTPA シリコンバレーツアーの参加者の中で、裏シリコンバレーツアーにも参加する人が4人いたので、その人たちと一緒に待つ。空港でネットしながらメールを確認してもらっているうちに、裏ツアーの参加者の一部が JTPA シリコンバレーツアーで使っていたホテルに一緒に宿泊していたことを思い出す。彼らと一緒のバスに乗り合わせてこれたら効率が良かったのだが、そうすることをすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。非常に申し訳ない。
11時頃にみんな到着すると思っていたら飛行機が到着してからの手続きでみんな手間取っていたらしく12時ころにだいたい到着し、出発。レンタカーで借りるために列車で 3駅ほど移動しなければいけないこととレンタカーで借りるための手続きに30分ほどかかってしまったことが大きな誤算であった。
借りることができる人だけでももう少し早いタイミングで集めておいて、前もって、借りて、国際ターミナル前に自動車を集めておくことができたらずいぶんとスケジュール的に違っていたかもしれない。
3台借りて一緒に移動することにまだ慣れていなかったため、私が先頭を走ってついてきてもらうことができるのではないか、と思ったがそれは幻想であった。私が先頭を走るのに慣れていないということもあったが、新しい環境でそこまで配慮して運転できない。そのため、最初以降の運転は出発地点と到着地点は同じであってもそれぞれドライバーは自分の責任で、自分で向かうというポリシーに変更になった。
またスタンフォード大学で残りのメンバーとも合流する。いろいろどたばたがあったがちゃんと合流できてよかった。ちゃんと携帯電話を確保している人が何人もいたことが心強かった。
その後、表ツアーでもお世話になった井上さんに案内してもらう。忙しい日程の中、さらにこちらが大変に遅刻してしまったため、とても短い時間になってしまったことが悔やまれる。
16時半にホテルに到着。ホテルに到着後は、ホテルでパーティを行うことになった。もともとは、近くのレストランで食事をする案があったのだが、それは当日変更して、ホテルのスイートルームで行うことにした。
ホテルの部屋でパーティを行ったことで、とても疲れきっていた人などはベッドで寝ることができてその点が良かった。こういうツアーイベントでは、初日は大変疲れている人がいるものであるので、それを想定した行動にするべきだ。
ショッピングすると大変単価が安くなる点がすばらしい。アメリカは食事に思いのほかお金がかかるので、部屋で
食事したのは経済面でも大変良かった。最初、追加ベッドがどこにあるのかが分からなくて困っていたのだがソファを組み立てなおすとベッドになる仕組みだったようだ。
心配だった質疑応答もみんなしっかりと質問しており、質疑応答で静寂が訪れる最悪の事態は無事に回避された。
それまで 2時間あるから大丈夫、とちょっと安心していたらところがどっこい、昼ごはんを食べていると時間がすぐに足りなくなってアセる。このときの昼ごはんはそれぞれグループごとの行動だったのだが他のグループと結局 Stanford Shopping Center で同じレストランに入ろうとしているのを発見したのがおかしかった。みんな好みが似ているというか、同じような場所で探してしまうということなのだろう。
シリコンバレーレクチャーは本来、IPA の未踏プロジェクトに参加している人向けに行われたもの。もともとマイクロソフトの日本法人で働いていた古川さんからのとてもエネルギーに満ちていたスピーチはメモなどを使わずに
力強く話すスタイルが印象的であった。質疑応答で出てきたおいしいレストランの見つけ方や、彼の若い頃の仕事ぶりに関する話などはとても参考になった。ぜひまたお話を聞いてみたい。
シリコンバレーレクチャー終了後は、グループに分かれた夕食。このときに、行動がせっかちすぎたようで一部のメンバーを置き去りにしてしまってえらいこっちゃになったようだ。悪いことをしてしまった。
11時からはじまった Google では駐車場の中でとこに駐車すればいいのかが分からなくてかなり長い間悩んでしまった。分からないときはさっさと警備員などに聞くということが大切だ。
Yahoo! は、もともと 16時までの予定であったにもかかわらず日本人の社員たちがとても長時間、応対してくれて、大変特別対応されていると感じた。インクトゥミからずっと検索技術に携わってきた技術者からの講演も大変興味深いものであった。
アメリカにおけるコミュニケーション能力というのは相手に分かる言葉で話すことができることだ。この講演での言葉は一つ一つが平易で、驚くほど理解しやすい。これはこちら側が日本人であることを意識して、そのように言葉を選んでくれているのだろう、と感じた。
日本人の技術者とのディスカッションの時間も予定の時間をはるかにオーバーして話し込んでいた。大変忙しいと Yahoo! の方々がこのような対応をしてくれたことがとても信じられない。この場を借りて謝意を表したい。
この日が最後の夜だったため、他の人たちもいろんな人たちを連れてきていてくれた。たとえばインフォテリアの 江島健太郎さんなど著名な方々が同じホテルに一同に会してくれ、それぞれとても楽しい会話ができた。
朝にロビーに向かうと、昨日別のメンバーが訪ねていったDebian のコミュニティで出会った、日本のアイドルオタクのおじさんが一回のロビーで会話していた。彼はよほど日本のアイドルについての話をしたかったのだろう。
それから空港へと向かう。空港の International Terminal でみんなを降ろしてから私はレンタカーを返す場所まで行ったのだが、その間の距離がとても長く非常に不安になった。レンタカーを返す場所まで行く間に高速を通ることにびっくりである。途中の標識で一部、レンタカー返す人はこちらというような指示がなくなり、普通に町の名前だけ書かれたところを通ったときは、もともと不安になりやすい心理であるだけに間違えたのかと思ってしまった。
レンタカーの返却は検査などもなく、あっという間に終わる。ぎりぎりで行動している人も多いし、いろいろ保険などをがっつり一緒に申し込んでいるので、そういうものなのかもしれない。
このツアーの良かった点は数多くあるが、まず何よりも誰一人倒れることなく、事故に合うことなく、無事に帰国できるという点はうれしかった。
このツアーは本当にたくさんの人の助け合いによって成り立っていて特にシリコンバレー現地で歓待してくれた人たちには感謝の念でいっぱいである。
このようなツアーをもう一度開催することができるのかどうかは分からないが、そのときはシリコンバレーで出会った人たちに報告できるような変化を起こしていたい。
失敗を待つマスメディアの監視という表現はまさにそのとおりだ。この問題に限った話ではないが、マスメディアは一生懸命にがんばっている人たちの足を引っ張るようなことばかりする傾向にある。
そのあたりの機微を分かっていないと、本当に世の中に対して誤解してしまう。注意が不可欠な世の中にわれわれはいるものだ。
この記事は同意できる部[政治・経済] コメント:失敗を待つマスメディアの監視下、システム一本化を始める三菱東京UFJ銀行分が多い。「システムは事務に従い、事務は経営に従う」というのは端的で良い表現だ。
UFJ の銀行事務のやり方は窓口の担当者がさまざまな事務処理までやるというものである。東京三菱のシステムはそれに対してフロントの担当者とバックの担当者を別において、窓口と事務処理を別で行うものだ。
もちろん、事務は経営に従うというのは真理であり、経営として、効率がたとえ悪くても、旧東京三菱の事務方式を採用することが必要ということであれば、それは批判を受けることもあろうが、信念を持ってやり遂げるべきである。
ただ、この記事を読んでいた人はマスコミがまったく根拠なく、批判のための批判を繰り返しているような印象を受けるように誘導されていると感じたことが少し残念であった。
Oracle は中心に池が配置されているのが印象的であった。きれいな建物。シリコンバレーに移住したドイツ人の話を聞く。年を経るごとにドイツに帰る気持ちが減っていったそう。あとクジで永住権を入手したというのは少し意外だった。
午後からは、スタンフォード大学の学生から話を聞く。スタンフォードの学生は意外に授業にはついていけると言っていた。スタンフォードといえども、日本でトップクラスの人間がおちこぼれになるほどではないのだろうな。
夕食後、梅田望夫さんの講演を聴く。梅田さんから直接にお話を聞くことができたこの時間はとても有益だった。彼の文章を読むと楽観的で牧歌的にすぎる印象をたしかに受けるのだが、それに対して本人が非常に自覚していて、意識的に狙ってそう書いていると知ることができるのがもっとも有益だった。たとえば、すべての情報・ツールへの自由なアクセスと、そのための前提としての教育というコンセプトは、理想的社会の一例を照らし出す。その理想的社会が存在すると信じられる人だけが、シリコンバレー的な人間として生きられるのだろう。
スタンフォード大学は中世ヨーロッパの町並みのようなかんじで、不思議なかんじ。全体的に統一感があり、とてもきれい。学生の服装はなぜかみんなジーンズで、学生も自動車を運転していることや、あと意外に自転車を使う人も多いことなんかが印象深い。
IT 業界で働くというテーマで、いろいろと聞いた。ここで印象的だったことは、なんちゅうかきっかけは人それぞれということかな。ある種の運命的ななにかを自分で感じられるかどうかなのかなぁ、て思った。
3日目にもなると若干お疲れ気味。この日は朝からひたすらホテルで話を聞く形。午前中のバイオサイエンスのセッションは少し不思議な感じ。バイオの業界って時間の流れ方が IT とは違うのかすごいゆっくりだな、て思った。シリコンバレーでも年功序列的な部分はあって、勤務経験で給与はある程度決まるので、前歴が長くつまれていると、採用してくれる会社が少なくなってきて、自分はしたくなくても、起業せざるをえないという話は興味深かった。
最後は総括のセッション。まぁ、いろいろとあったが、自分がこの先どう過ごすのかを考えさせられる時間。本当にどうするのだろう。いろいろある中から、決めなければいけない。
最終日の夜なので、金島先生宅でパーティ。シリコンバレーの豪邸で、食事できるなんてとても貴重な機会だ。ご飯はたらふくいっぱい食べられてとてもよかった。おいしかったし。

 

戻る

マイワンのサイトです。

マイワンのサイトです。