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錬金術とは?/ マイワン

[ 715] 錬金術と賢者の石
[引用サイト]  http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinpi/kenzyanoishi.html

錬金術とは何か?字義通りに解釈すると、金属を練ってよりよいものを作り出す技術、金を精錬する技術である。具体的には、鉄や、銅、亜鉛など容易に手に入るが酸化しやすい金属(=卑金属)を加工して、金や銀、白金などの貴金属に変える秘術を指す。かつて西洋では全ての物質は硫黄と水銀、塩でできていると考えられており、それらを組み合わせることでどんなものでも作り出せるという発想が、ごく自然なものだった。錬金術師として活躍した者には他の分野で大きな大きな功績を残したものも少なくない。たとえば、経験主義の哲学者フランシス・ベーコン、惑星運動の重要な法則を発見した天文学者ケプラー、そして地動説を唱えたコペルニクスなどである。
現在、錬金術といえばオカルトの一分野に過ぎないが、当時は違った。錬金術を研究する彼らは最先端の科学者だったのである。しかし、現代の科学的常識からすれば、卑金属から金を精製しようとする錬金術はまったく荒唐無稽な考え方だ。元素と元素を結びつけるのが化学変化である。化学変化によって生成するのはあくまでも化合物であり、元素ではない。副産物として生成される元素にしても、自然界に金の化合物が存在しない以上、身近な物をいくら化学変化させたところで金ができるはずはない。錬金術はたしかに科学の発展に寄与した。しかし、その最終目的である金を生成させることは、科学知識が未熟な時代の人々の幻想に過ぎなかった。
だが、自前の科学知識で錬金術を語ろうとすることは、はっきり言って的外れである。錬金術の発祥は古代エジプトにまで遡る。その後、ギリシア、アラビアを経て、中世のヨーロッパに伝わり、ルネッサンスに絶頂期を迎えた。錬金術師たちの目指したものは常に一貫していた。それは『賢者の石』を手に入れることである。賢者の石とは卑金属を金や銀に変える究極の物質であり、また永遠の生命をも可能にする生命の秘薬だった。後世、錬金術師たちは賢者の石をエリクシール=練金薬と呼び習わし、可能な限りのインスピレーションを働かせ、火や触媒を使ってエリクシールを作り出そうとした。しかし、全てが失敗に終わった――それはそうである。卑金属を金に変える物質など常識的に考えてあり得ない。
19世紀に原子が発見され、物質の構造が明らかにされると、賢者の石の探求もまやかしの科学・盲信として、急速に衰退へと向かった。しかし、彼らは根本的な部分で大きな間違いを犯している。錬金術は神秘主義であり、確固たる物質をもって奥義とはしない。歴史上、賢者の石を精製できた人物は誰一人いない。しかし、その石を手にしたという伝説的な神人なら存在する。錬金術の祖、ヘルメス・トリスメギストスである。ヘルメス・トリスメギストスとはギリシア神話の知恵の神ヘルメスとエジプトの文明神トートがヘレニズムによって出会い、融合したもの。全ての学問、芸術、科学の神とされ、錬金術の奥義を知るものである。
ギリシア神話におけるヘルメスは最高神ゼウスとニムフ・マイアの息子。ローマではマーキュリーとして知られる有名な神である。彼は商業神かつ雄弁の神であるが、それ以上にゼウスと地上の神々との間を取り持つ仲保者であるとされる。神々の発した命令を携え、絶えず地上へ降り、さまざまな仕事に携わったため、デイアークトロス(使者)という添名がついている。『神統記』を書いたヘーシオドスによれば、ヘルメスは、ゼウスが感じ取った印象や感情を、人間の心の中に持ち込む神であるという。ヘルメスは、初期の時代には、濃く長いあごひげを生やし、髪は髪紐で結び、巻毛を肩に垂らした、聖人の男性として表現されている。また、彼は、しばしば円い翼のついた帽子ペタポスをかぶり、足には翼のついたサンダルを履いていた。
この翼は飛翔に役立つよう身に着けていたものであり、彼は天空を急ぎ渡り、一陣の風のように濤々たる海を渡り、大地を飛び越えたとされる。あるとき、オリュンポスの神々が怪物ギガンテスに襲わた。ギガンテスのあまりの恐ろしさに正気を失った神々は、われさきにとエジプトまで逃げて行き、さまざまな動物の姿に身を変えて隠れた。例えば、ゼウスは牡牛に姿を変え、エジプトではアモンの神として崇拝された。また太陽神アポロンは烏に、ディオニューソスは山羊に、アルテミスは猫に、ヘーラーは牝牛に、アプロディーティーは魚に、そしてヘルメスは鳥になったという。ヘルメス学において、ヘルメスが身を変えた鳥の神こそ、まさしくトート神に他ならない。
トート神は文明神であり、天文学、工学、数学、芸術などを人類にもたらしたとされる。いわば、トートは神々と人間を結びつける存在、天と地を行き交う仲保者である。ゆえに、古代エジプトにおいて、トート神には鳥の属性が付け加えられた。トート神のもっともポピュラーな姿は、トキの頭を持った人身像である。また、獅子として描かれることもあるが、その際は飛翔の象徴である翼を生えさせる。エジプトのピラミッド・テキストにおいて、トート神は“三重に偉大で偉大”であると表現されている。転じて極めて偉大なトートという意味だが、ヘルメス学では、ヘルメスに“トリスメギストス=三重に偉大な者”という添名を与えることにより、ヘルメスとトートが同一神であることを示した。
さらに、キリスト教では、ヘルメス・トリスメギストスをモーセ同様の預言者であると伝える。預言者とはユダヤ・キリスト教において、絶対神ヤハウェの言葉を与かる人々のことだが、ヘルメスもまたキリスト教の系譜とは別に、神の奥義と叡智を継承した偉大なる預言者であるというのだ。さらに、古代アラビアの伝承によれば、旧約聖書の中にヘルメスの別名を持つ預言者が存在するという。その名は古代の賢人イドリス、別名“エノク”である!14世紀のアラブ人歴史家アル・マクリージーや、7世紀の歴史家アル・マキール、イブン・バトゥータ等は、一様にエノクを預言者ヘルメスと呼ぶ。中世アラブ人は征服したコプト人(古代エジプト直系の末裔)を通じて、古代エジプトの密儀と叡智を継承した。彼らの記録は信頼に値すると見るべきだろう。アル・マクリージーの著書『群国志』には次のように記されている。
最初のヘルメスは、預言者であり、王であり、そして賢人であったことから三つの顔を持つ者と呼ばれ(これはヘブライ人が、アダムの子、セトの子、エノシュの子、ケナンの子、マハラルエルの子、イエレドの子、エノクと呼ぶ人物で、彼の上に幸あれ。またの名はイドリスである)、星を読んで大洪水の到来を予言した。
すなわち、エノク=マーキュリー=ヘルメス=イドリス=トートである。だとすれば、賢者の石を手にした伝説の神人とは、預言者エノクだったことになる。エノクは箱舟を造った預言者ノアの曽祖父であり、365年間、この地上で生きた偉大なる聖人である。旧約聖書の登場人物は当然ながら最後には必ず死ぬが、このエノクだけは“神が取られたのでいなくなった”と記されている。謎に満ちた記述だが、別に神隠しにあったわけではない。絶対神の意思により、死を経ずして天に取り上げられたのである。古代ユダヤの伝承によれば、エノクは大天使メタトロンに身を変えられ、天上で神の書記官として仕えることになったという。天空を飛翔し、天地を行き交うエノクの姿はまさしく鳥である。エノクが、鳥の属性を持つヘルメスやトートと融合した原因はここにある。
錬金術の寓意画には、必ずヘルメスが登場し、その手には“カドゥケウスの杖”が握られている。カドゥケウスの杖とは、長い剣に蛇が2匹、左右に絡みついたもので、錬金術の過程を象徴的に表したものであるとされる。旧約聖書において、預言者エノクが手にした叡智とは、天界の奥義であり永遠の命へと導く道標“生命の樹”に他ならない。カドゥケウスの杖とは生命の樹そのものなのだ。生命の樹というと、エデンの園に植わっていたものが一番有名だが、ユダヤ密教カッバーラにおいては、聖書のそこかしこに生命の樹の象徴が隠されているとされる。たとえば、モーセの兄アロンが持っていた神の杖は、エジプトの神官たちの目の前で蛇に変わったとされる。神の依り代であるアロンの杖は、まさしく生命の樹に他ならない。
また、モーセがイスラエルの民を引き連れて、荒れ野を旅していたとき、毒蛇にかまれて死にかけた人々がそれを仰ぐと命を得たとされる青銅の蛇もまた、生命の樹の象徴である。青銅の蛇は旗竿に掲げられ、ちょうどカドゥケウスの杖と同じ構図になっていたからだ。さらに、イエス・キリストが架けられた十字架も、人類の罪を贖い命を与えたという点で、生命の樹の象徴となる。これは先述のモーセの説話が予型となっており、イエス・キリストは知恵の象徴として蛇の姿で表されることがわかる。古代エジプトにおいて絡み合った二匹の蛇は、上エジプトと下エジプトの融合を意味していたが、カドゥケウスの杖に絡まる二匹の蛇も、二つの聖典に描かれた絶対神が、生命の樹をはさんで会わせ鏡の同一神となる過程を示している。すなわち、旧約神ヤハウェと新約神イエス・キリストの融合である。
カドゥケウスの杖は生命の樹であり、その過程で最終的に醸成される賢者の石は人間の神的な部分であるヌース=叡智を示している。すなわち、人間性の向上であり、神化の結晶こそが賢者の石の正体なのだ!しかし、それだけではない。賢者の石はもっと奥深いのだ。ヘルメス主義においては、質料的な目に見える物質を叡智とはしない。その意味で、賢者の石はあくまでもカッバーラの叡智の象徴であり、この世に存在する物質ではない。しかし、そこにはモデルが存在する。預言者エノク=トートが残した神の神具、カッバーラの宝物こそが、もう一つの意味での賢者の石の正体なのだ。紀元前1600年頃に作成されたウェストカー・パピルスの中には興味深い記事が載せられている。
それによると、クフ王はトートの聖地で捜し求めていた秘密の部屋を発見し、そこに隠されていた神の宝物を手に入れたという。その名を“火打石の箱”と呼ぶ。クフ王はこれをヘリオポリスのインベントリーに安置したとされる。さらに、紀元前1900年頃のコフィンテキストには「自分はトート神の箱を開き封印を破った。それは神の箱を開くことであり、それを中から取り出した。」とある。クフ王は封印された火打石の箱を開き、その中から隠された宝物を手にしたというのだ。火打石の箱とある以上、中に入っていたのは“火打石”、自ら光り輝く謎の鉱石である。これを裏付けるように、プトレマイオス朝時代の記録には、ラムセス2世の二人の息子が伝説の火打石の箱を発見し、蓋を開くと、中から眩いばかりの高貴な輝きが放射されたとある。
では、火打石の正体とは何か?この宝物を残した張本人はトート、すなわちヘルメス・トリスメギストス=エノクである。実は、古代ユダヤの伝承の中にも強烈な光を発する謎の鉱石に関する記述が存在するのだ。それこそが“ツォハル”である!ツォハルとは光や輝きを意味するヘブライ語で、ユダヤ密教カッバーラでは神界の光を放射する謎の結晶体のことを指す。ノアの大洪水以前にも、ツォハルは預言者たちの間で非常に重宝されており、実際、ノアの箱船にも大量に積み込まれていた。日本語訳の聖書では“明り取りの窓”と解釈されているが、本来の意味ではない。ノアの箱舟は浸水防止のためもあって完全に密閉された空間だったので、船内を明るく照らすためにツォハルが持ち込まれていたのだ。
ただし、ツォハルは単に光を放射するだけの鉱石ではない。ツォハルから放たれる光はカッバーラの光であり神界の意思が通っている。霊の目を開いた預言者たちは、そこから絶対神の啓示を受け取ることができた。古代ユダヤ伝承を集めたミドラシュには、ツォハルに関する次のような興味深い記事が載っている。ユダヤ人の父祖であるアブラハムがまだ赤ん坊だった頃、洞窟内で光る石を発見した。その石はエデンの園の光の精髄が凝ってなった“ツォハル”と呼ばれる神秘の石で、元来天使ラジエルによってアダムに与えられたものだった。それは息子のセトから、エノク、メトシェラ、レメク、ノアへと代々継承されきたが、大洪水後の預言者ノアは誤ってそれを海に落としてしまった。
以後、行方知れずとなっていたツォハルは、幼子アブラハムにより洞窟で発見されることになる。やがて彼はユダヤの族長となったが、生涯この石を肌身から離さなかった。不思議なことに、石を見た者は誰もが癒されたという。さらにこの石は天体観測儀としても活用され、天界の秘密の一端をアブラハムに漏らしたのである。その後、ツォハルはイサク、ヤコブ、ヨセフへと継承され、かの大預言者モーセへと伝えられたという。では、モーセへと継承されたツォハルは、以後、どうなったのか?旧約聖書の中にはツォハルと思われる記述はない。だが、はたして本当にそうなのか?先述したように、ツォハルは単なる発光する石ではない。神の意志が通った“神託の石”である。そういった視点で改めて聖書資料をあさってみると、確かにそれと思われる謎の鉱石が見つかった!
紀元1世紀頃のユダヤ人歴史家にフラウィウス・ヨセフスがいる。彼の著書『ユダヤ古代誌』の中には、現在では散逸した貴重な古代ユダヤ伝承が数多く記録されている。そこには、大祭司が着ける特殊な祭服“エッセーン=裁きの胸当て”に縫い込んで胸につけてあった“ある貴重な石”に関する言及がある。その石は、これから戦おうとする者に神が戦勝を告げるものであり、それらの宝石が燦然と輝けば、神が支援に来ておられることが全軍に明らかにされたという。また、神が聖なる儀式に臨在されている時にも、必ず輝きだしたと記録されている。それゆえ、ユダヤの慣習に敬意を払っているギリシア人は、エッセーンをロギオン=託宣と呼び習わしていた(第3巻215−217)。さらに、ヨセフスは別の箇所で、この宝石を“神託の石”と呼んでいる。
また、モーセは人々に、どのように犠牲を供すれば神がいっそう喜ばれるか、そしてどのようにすれば遠征中の軍隊が神託の石からその方針を聞き出せるかを教えた。(第4巻311)
さて、ヨセフス自身は神託の石の正体をエッセーンに4列ではめ込まれた12個の宝石であると考えていた。これらの石については出エジプト記の28章17〜20節に詳しく書き記してあるが、その正体はルビー、エメラルド、サファイア、オパール、碧玉らの宝石である。しかし、困ったことに、これらの宝石には神託を下すような特殊な性質はまったくないのだ。実は、裁きの胸当てには、これら12個の宝石とは別に、イスラエルの戦勝を宣言する特殊な二つの石がはめ込まれてあった。ヨセフスがそれらの石についてまったく触れていないことからも、おそらくは資料的な混乱があったものと思われる。神の臨在に際し、はるか遠くまで慄然とした輝きを放ったとされる謎の鉱石――その正体はウリムとトンミムである!
裁きの胸当てにはウリムとトンミムを入れる。それらは、アロンが主の御前に出るときに、その胸に帯びる。アロンはこうして、イスラエルの人々の裁きを、主の御前に常に胸に帯びるのである。(出28:30)
エルアザルは彼のために、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない。ヨシュアとイスラエルのすべての人々、つまり共同体全体は、エルアザルの命令に従って出陣し、また引き揚げねばならない。(民27:21)
ウリムとトンミムは、古代ユダヤの祭司が神意を問うために使っていた道具であるとされ、その正体は明らかにされていない。しかし、ヨセフスの記述から推測するに、それは二つの“石”であり、神が戦勝を告げるときに、祭司の胸で光り輝いたと考えられる。ウリムとトンミムは通常、普通の石であるが、神の神託が下ったときには眩いばかりの光を発したのである。もうお分かりかと思うが、ウリムとトンミムの正体はツォハルである。古来、預言者たちは未来を先見し、星辰を通して絶対神の啓示を受け取るために、ある特殊な神具を造った。それこそが、ウリムとトンミム――ツォハルをレンズ状に整形して、銀のつるにはめ、目にかけて使用したとされる二つの石である。
しかし、後代の大祭司たちは、石から発せられる神界の光を霊の目で解釈する力を失ったため、裁きの胸当てにはめ込み、戦いの勝敗を告げ知らせる一種の占いの道具として使用した。ウリムとトンミムの正確な形状は謎に包まれている。しかし、とある説によれば、両者とも正三角形に整形され、神託を得る際に枠にはめて眼鏡として使用したともいう。三角形は神々が住まう至高世界を表し、これら二つを重ねることによって、六芒星=ダビデの星を形成する。古代ユダヤの大祭司は、その胸にダビデの星を帯びていたのだ。ダビデの星は上昇と下降、光と闇、プラスとマイナスといった、ふたつの相反するものの統合を意味する。
それは二つの至高世界――すなわち、旧約聖書と新約聖書の合一を象徴している。具合的にウリムが上昇であり、トンミムが下降を表す。なぜなら、光を意味するウリムは、創生記の創造において「光あれ」で開始されたこの世界の始まりを表し、完成を表すトンミムは神の計画の成就、すなわち世界の終焉を意味するからだ。旧約聖書において、しばしばウリムだけを用いているのは、それが上昇であり光、つまり勝利を告げしらせる希望の石であったからだろう。それだけではない。ウリムは新たな世界の始まりに際して、勝利を得たものに配られる、まさしく永遠の命を約束する賢者の石でもあるのだ。
勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。(黙2:17)
賢者の石はカドゥケウスの杖で醸成される。カドゥケウスの杖は生命の樹であり、その過程は人間性の向上を表す。錬金術で造られる金とは単なる金ではない。それは聖書にある“炉で精錬された金”である。生命の樹を上昇する過程において、死すべき人間は、自らを地上において束縛している、さまざまな肉体的な欲求やしがらみを、順に捨て去らねばならない。黄金は、最後に残る人間の本質的かつ最も神的な部分を象徴しているのだ。ヘルメス文書において、人間は死すべき神であり、神は不死の人間である。しかし、人間の内なる神、ヌース=叡智は肉体に束縛され、その神性を隠された状態にある。
しかし、かつて、神に似せられて造られた人間はそうではなかった。エデンの時代、アダムは一切の肉欲から解放された霊の人だった。しかし、禁断の知恵の実を口にした時、アダムは自分が肉体という着物に被われていることを悟ったのだ。こうして人間は“肉なるもの”と化した。肉に伴う快楽はあらゆる罪を生み出す源泉である。こうして人間は罪を知った。炉で精錬された金となるためには、かつてのアダムと同じ、霊の人とならねばならない。それはアダムが着た“皮の衣”を脱ぎ捨てることを意味する。「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。」(創3:21)
皮の衣はアダムが知恵を得ることによって現出した、人間の憎しみ・妬み・嫉妬・欲望らの地上的・肉体的・世的な感情を象徴しているが、生命の樹を登りつめ、堕落する以前の真の人間に立ち返るためには、それら一切を脱ぎ捨てねばならないのだ。錬金術における化学変化は、そのことを象徴的に表している。そして、賢者の石はその名の通り、賢者にしか与えられない。肉を背負った人間が真の人間に返ったとき、イエス・キリスト御自身から白い小石が与えられる。それは永遠の命を約束し、勝利を告げる賢者の石=ウリムである。新たな世界の始まりを告げるウリムは、次代を受け継ぐ真の聖徒たちに手渡される。

 

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