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吉利とは?/ レイク

[ 9] 風雲児が創る『中国人の車』〜吉利集団・李書福 2005/06/10(金) 14:13:22 [中国情報局]
[引用サイト]  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2005&d=0610&f=column_0610_001.shtml

写真:大 / 写真特集〜「日本車のコピー」と言われても、したたかなる戦術〜−恩田有紀 「浙江一したたかな企業家」。そんな異名をとる自動車業界の風雲児がいる。「中国人が造る自動車」として吉利汽車ブランドを浸透させ、人々の心をつかんだ吉利控股集団董事長の李書福(リー・シューフー)だ。冷蔵庫の製造工場から始め、1994年にはオートバイの生産を開始。10億元の元手を創り、97年、自動車業界の荒波に乗り出した。大手の国有企業が幅をきかせる中国の自動車業界にあって、民間企業としては初めての挑戦だった。「日本車のコピーにすぎない」とのレッテルを貼られながらも、独自の道を突き進むその気概に、中国の人々は称賛を送る。+++++++++++++++++++++++◆冷蔵庫工場の工場長、自動車業界に乗り出す 李書福は1963年、浙江(せっこう)省・台州(だいしゅう)市に生まれた。ハルピン(哈尓濱)理工大学の大学院で学び、84年、兄弟4人で開業した台州市の冷蔵庫工場の工場長になった。89年、会社は中国で初めて、ジュラルミン製板の加工を開始。これが吉利汽車の原点だ。会社はこうした技術をもって、オートバイの生産を始めた。95年に6万台だった年間生産量は、96年には20万台まで拡大し、国内オートバイ業界の重点工場として位置づけられた。 96年、会社は「吉利集団有限公司」(ジーリーグループ)として再編される。李書福は、董事長になっていた。それまでの道のりには、李書福の「天不怕 地不怕(天を恐れず、地も恐れず)」という開拓者精神、そしてなによりも技術者としてより高度なものを求めていきたいという心意気によって、切り開かれてきたものと言われている。 中国では94年から政府が個人の自動車購入を推奨し始め、以降、自動車の保有台数は年に20%以上の勢いで伸びつづけた。97年、中国のモータリゼーションは勢いづいていた。そんな中、吉利集団有限公司は独自の研究で創りあげたエコノミーカーの生産を開始。2001年には民間企業として初めて、セダン車の生産資格を得たのだった。現在、グループではエコノミータイプのセダン車ブランド「豪情」「美日」、「優利欧」、スポーツカーブランドの「美人豹」をメインに展開。浙江省・臨海(りんかい)市、寧波(ニンポー)市、台州市、上海市の4大拠点で自動車生産を行うまでに成長している。◆世界の大手メーカーとの「知財」問題で戦う 自動車生産が軌道に乗ってきた吉利だったが、2003年2月、知的財産権問題でトヨタ自動車に訴えられるという「事件」が起きた。 当時の新聞によると、一連の訴えが始まったのは02年の12月。トヨタ自動車は不当競争に対する賠償金として、吉利汽車に1400万元の損害賠償請求を起こした。その内容は2点。まずは吉利が使用しているエンブレムがトヨタのそれに類似していること。もうひとつは、吉利がトヨタのエンジンを搭載していないにも関わらず、宣伝資料には同社製エンジン搭載と記載されていることだった。 当時の吉利は自動車販売台数が5万台近くに上り、前年比で120%の増加と大躍進していた。市場シェアも4.5%と順調成長。実際、自動車業界関係者の間には「吉利の自動車は日本車のコピーの部分が多い」との認識が広まっており、中国市場に本格参入した当時のトヨタにとっては、たたいておきたい存在だっただろう。 この「事件」について、いつもは歯切れのいい李書福がめずらしく、「(国際的な大企業を相手にしての)裁判はおそらく敗訴する。1400万元の賠償金は小さな問題だが、中国民族系工業にとっては大きなダメージだ」と弱音を吐いていたという。 また、「商標は1996年、国の該当部門に登録した。8A型エンジンは天津豊田から正当なルートを通じて購入しているもので、使用期間も8年間にわたる」と語り、商標権などについての訴えが起きるとは思いもよらなかったとの気持ちを表した。 現在は政府が懸命の策を講じつつあるとはいえ、歴史的に知的財産権に関する考えがルーズだった中国の人間にしてみれば、青天の霹靂(へきれき)だったかもしれない。◆自社ブランド守り、「だれもが乗れる車」目指す それでも裁判で吉利側は、「問題とされる商標を放棄しない」ことを主張。「吉利が商標を放棄すれば、1400万人民元の損害賠償請求を取り下げる」というトヨタ側の最終的な和解案を拒否し、世界的な大ブランドを相手に、自社ブランドを守り抜く姿勢を示した。結局、北京市第二中級人民法院は「2つのロゴは明らかに異なり、混乱を招かない」として、トヨタの訴えを退ける判決を下したのだった。 李書福は「中国人の誰もが乗ることのできる自動車を作る」という信念をこれからも掲げ続け、次々と押し寄せてくる自動車業界の荒波に立ち向かっていくだろう。現在、集団が手掛ける事業は、自動車・バイクとその部品の生産、大学経営、旅行業、不動産など幅広く、総資産は50億元を超えている。※中国の企業家をご紹介する記事として、次回は「『国美帝国』の神話創造に尽力〜国美電器・黄光裕」を6月17日に掲載する予定です。ご期待ください。■関連トピックス < 現代中国企業家列伝 >

 

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