習いとは?/ レイク
[ 503] 仕様書の書き方って,習いました? - 日経エレクトロニクス - Tech-On!
[引用サイト] http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070216/127811/
突然ですが,読者諸兄姉は,仕様書の書き方って,教わったことはおありでしょうか。あるいは,部下に教えたことはおありでしょうか。 同社は「おサイフケータイ」などとして知られる携帯電話機向けの「モバイルFeliCa」の開発元で,そのICチップのファームウエア開発に当たって,「仕様をキッチリ書けるところは,書こう。実装者任せにしないようにしよう」という意識を徹底,高品質なソフトウエアの開発に成功しました。成果物は,NTTドコモの携帯電話機「903iシリーズ」の全機種に採用されるなど出荷数も多く,責任の重いプロジェクトです。 今回,著者の栗田氏と打ち合わせを重ね,原稿をやり取りする中で印象に残った言い回しがあります。それは, 「形式仕様記述を使いこなせるようになると,自然言語(日本語)での記述力も上がる。エンジニアのコミュニケーション・スキルを磨く手段として有効」(p.135より要旨を引用) という文章です。申し遅れましたが,形式仕様記述というのは,見た目はC言語などのプログラミング言語に似たもので,「集合」や「状態」などをより厳密に書くための構文が豊富なことから,システムの仕様を,実装担当者や品質保証技術者に誤解なく伝えるのに適している,といわれています。 この形式仕様記述,「論理的に筋が通っていなければ表現できないため,書く上での負荷が大きい」(p.135より引用)こともあり,ソフトウエア業界では「形式仕様記述は,導入のハードルが高すぎて実用にならない」との反論もあります。しかし,これに対する著者の主張は,なるほどとうなずけるものでした。 「自然言語を用いて正確に仕様を記述できるような技術者を育成するのは,もっと難しい」(p.135より要旨を引用) 自然言語というのは概して曖昧になりがちで,特に日本語というのは,同じ趣旨のことを,いかようにも言い換えられる幅があります。この幅が技術的なドキュメントでは,仇になる。であれば,「曖昧に書きづらい,書き手にとって厳しい道具」である形式仕様記述の方が有用ではないか,というわけです。 栗田氏ご自身も,部下のプロジェクト・メンバーの「先輩からプログラムの書き方は教えてもらっているが,仕様書の書き方については,教えてもらうどころか,先輩達も悩んでいるようだ」(p.135より引用)という声を聞き,仕様書の難しさを改めて実感されたとか。 日本企業では,「つうかあ」のコミュニケーションを重視するあまり,仕様の精緻さが軽んじられる風習がありました。ソフト開発に限らず,自動車や家電,半導体など機械/電気/電子系の開発でも,曖昧な仕様書に苦しむという話は,日々の取材を通して非常によく耳にします。 「顧客のため,そして製品の商品力向上のため,たとえ下流工程に至っても必要とあれば積極的な仕様変更をためらってはならない」――。そういう局面があることは知っています。そして,それが日本の製品の世界市場での強さにつながっているともいえるでしょう。よくいわれる「すりあわせ型」の開発です。 最大の問題は,本来,よく検討すれば詰められる事項まで曖昧にし,「この仕様変更は顧客のため,商品力向上のため」という大義名分の下,上流工程でよく練らないまま,仕様を出し,下流工程に至ってそれを直すという悪習がはびこることです。本来のあるべき「すりあわせ型」の仕様変更とは,詰める部分は最大限,力を尽くして上流で仕様を詰め,ドメイン知識をつぎ込み,どうしても詰められない部分については,イテレーティブな繰り返し型プロセスで改善を加えていく,というスタイルのはずです。 私は今回の記事を編集者として読者の皆様にお届けする中で,「形式仕様記述がいい」とか「形式仕様記述をもっと使うべき」というつもりはありません。著者の栗田氏も記事の中で,「可能であれば自然言語を用いて仕様を記述した方がよい」(p.134),「仕様を策定する際には,形式仕様記述言語やツールだけに固執しない方がよい。仕様検討の過程や仕様選択の理由は従来通り自然言語で,全体を俯瞰するための図はUMLなどの記法で,それぞれの言語や記法の特徴を生かして表せばよい」(p.151)と述べています。 重要なのは,「形式仕様記述を使うべきかどうか」という天下りの発想ではなく,「自分は,仕様をうまく日本語で表現する力が欠けているのでは」「自分の今の説明の仕方では,まだまだ相手に誤解を与える可能性があるのではないか」と,繰り返し自問自答する姿勢でしょう。そして,形式仕様記述は,「ハードルの高い道具」であるがゆえに,その負荷の重さが書き手に対し,一種の「筋力トレーニング」として働く。論理的な説明能力を根付かせるための鍛錬になる,という点だと思います。 極論すれば,形式仕様記述を使わずとも,C言語のような実装言語でも,「精緻に分かりやすく書こう」という心がけを徹底し,それがそのエンジニアの脳ミソへの鍛錬として働くのであれば,形式仕様記述とほぼ同様な効果が得られるのではないかと,今回の原稿を見ている中で感じました。 「形式仕様がプログラムに近い形態であるとはいえ,皆に読まれる仕様とする以上,実装用のプログラムよりも,規約にのっとり,読みやすく,読者が誤読することのない,サービス精神旺盛な,かゆいところに手が届く,しかしテクニックに堕しない仕様を書くことを志向する必要があると痛感した」(p.150) 出版社に勤務し,記者として,編集者として働く私にとって,非常に身の引き締まる思いがし,「研鑽を重ねなければ」というエネルギーをいただいた記事でもありました。 20ページと少々長めの記事ですが,ぜひエンジニアである読者の皆様にも,ご一読いただければ幸いです。 形式仕様記述はXPの「テスト駆動開発」と共通点があります。テスト駆動開発ではソフトウエアの仕様を曖昧さの無いプログラミング言語で記述することから始まります。記述方法は違うものの両者とも仕様を精確に表現することに重きを置いた手法です。 ■仕様書の書き方は習うのも教えるのも難しいかもしれません。コミュニケーションと同じで経験や資質などが要求されるからです。むしろ仕様書を書く機会を増やし「習うより慣れろ」式がいいと思います。仕様作成者は仕様を読む人に作成者の意図をなるべくわかりやすいように書くことを念頭に置き作成するようにすべきでしょう。形式仕様記述はベースにあってもいいかもしれませんが,あくまでも基本として身につけておいて自分なりに応用して創造していくのが必要です。 ■「形式仕様記述」とは,極論すればメタ言語によるプログラム記述なのではないか? 記録として残すための個々のモジュールやクラスの「仕様書」はこれでもいいかもしれないが,本当に必要なのはもう少し高次の,「設計思想」が明快に記述された文書ではないかというのが私の持論だ。初期の設計思想にそぐわない「改修」から,予期しない不都合が生じることは,分野を問わず,決して珍しくない。新規追加要件が既存製品の設計思想に合わないことが容易に判断できれば,抜本的再検討の決断も早まるというものだ。見える化という意味でも重要なことである。 ただ,伝える相手がその表現手法を理解してなければ,やはり意図した情報を正確に伝える事は難しいのではないのかとも考えています。 それは,仕様を一旦英語で記述してから日本語に機械翻訳し,翻訳結果が意図した内容と等しくなかったら,論理性,明瞭性,簡潔性に欠ける難解な文章として,理解できる日本語になる迄,記述を変えるという事です。 それから分かったつもりにさせる「それらしい記述」というのも,プロジェクトを先に進める上で,人(顧客?)を説得する為に,これもまた重要かもしれませんね。 ■形式仕様記述で仕様を書き上げられるところまでできれば,そのプロジェクトは60%終了している。まだあいまいな部分が多い状態で仕様をまとめて,それらしくしないといけないから皆さん困っているわけで,問題は本当は表現手段以外の所にある。 個人情報保護方針/ネットにおける情報収集について/個人情報の共同利用について |環境方針 |日経BP社へのお問い合わせ |
[ 504] 征夷大将軍になれば幕府を開けると習いました。可能であれば幕府を開いてみたいと思うのですが、とりあえず何から始めればよいのでしょうか。(この質問はしきり直しです、.. - 人力検索はてな
[引用サイト] http://q.hatena.ne.jp/1107862834
征夷大将軍になれば幕府を開けると習いました。可能であれば幕府を開いてみたいと思うのですが、とりあえず何から始めればよいのでしょうか。(この質問はしきり直しです、すいません) ここを読めばよく分かると思いますが、結論から言うと、将軍じゃなくても幕府を開くのは可能なようです。 なによりも、将軍って軍隊の総大将みたいなものですから、現日本国憲法では将軍になることさえ不可能なようです。 また、勅命を下す天皇だって、当時は国家元首たるものですけど、現代は、「ただの日本の象徴」ですから、そのような任命も無理でしょう。 なるほど、ありがとうございます。征夷大将軍でなくても幕府は開けるんですね。現行法や日本国憲法で、征夷大将軍といった官位は明示的に廃止されているんでしょうか??? 軍隊を組織しても自衛隊・在日米軍連合軍に勝つのはまず無理なので、自衛隊の幹部を目指したらいかがでしょうか。 現在の政治体制では征夷大将軍の任命権もなくなっています.政権を奪取するつもりなら,政界に出て総理大臣になるか,もしくはクーデタを起こして政治体制を変え,天皇に征夷大将軍に任命してもらうしかないようです.クーデタは現状では不可能と考えます. そもそもの質問で申し訳ないのですが、日本国憲法が施行されたときに天皇陛下は象徴になることになっていますよね。 幕府は勝手に開いちゃって良いらしいですよ。上はチェリー福田の音楽幕府だそうです。年貢を納めてないので知りませんでした。 のっけから「各方面にご迷惑をお掛けしてすいません。」と書いてあります。腰の低い幕府です。一種の善政だと思います。 このように、現体制下では勝手に幕府を開いていいらしいです。群雄割拠ってことですかね。私も朝廷開きたくなりました。だれか年貢とか納めたい人いませんか? まずは人を引きつけるためのカリスマ性、それから組織を統率するためのリーダーシップを身につけるのが重要だと思われます。人望なき指導者は長続きしません。 ちなみに、武士というのは家柄も重要視されますから、ここらへんの系図から、名だたる武将の御血族を捜し、婚姻関係などを結ばれるのも宜しいかと存じます。 ただし、独立や建国は、なかなか平和的には進まないものです。平和な幕府を開くのは非常に困難な道のりになると思います。やはり、質問者様がいかに「平和な幕府を開きたいか」「人々を幸せにしたいか」ということを人々に伝えられるかどうかに大きく影響されることと思います。 節の家柄は大切ですね。源氏でなければ征夷大将軍になれないようです。先輩の家康公も征夷大将軍になるために源氏姓になっているみたいですし。 源氏以前の征夷大将軍は、大伴弟麻呂とか坂上田村麻呂などがいますし、鎌倉幕府の4代以降の将軍は藤原とか皇族とかからひっぱっています。 また、徳川が源氏だというものもまゆつばものですし、また源氏でなければ将軍になれないなどと誰も決めていません。征夷大将軍って言うのは令外官の一個に過ぎませんから。 たとえば足利尊氏の場合、征夷大将軍の位を後醍醐天皇に望んだが断られ、後の北朝となる持明院統の光厳上皇により征夷大将軍に任ぜられ、これがもとで南北朝時代をつくりあげてしまったということがあります。 これから考えると、今現在「南朝の血を引く自分こそ第○○代の天皇だ」みたいなことをいってる自称天皇がいますから、そういう人を担ぎ上げて征夷大将軍に形式上任命してもらい、あとはクーデターでも起こし、その自称天皇を正式な天皇ということにすれば、足利幕府と同じような方法で幕府が立てられます。 自称天皇では信憑性が薄いので、現在皇族である人とお近づきになって、その人を担ぎ上げるのでもいいでしょうが可能性は低いでしょう。 天皇には指名権はなくとも任命権はあるので、まず地元の支持を得て衆議院議員となり、国会で自衛隊における征夷大将軍という役職に関する法律を成立させて自らが指名を受けて天皇から任命を受けるのが一番スマートだと思います。 現代における幕府を開くプロセスは、確かにこんな感じになりそうですね。愚にも付かない質問にたくさんお答え頂きありがとうございました。 はてな 征夷大将軍になれば幕府を開けると習いました。可能であれば幕府を開いてみたいと思うのですが、とりあえず何から始めればよいのでしょうか。(この質・・ ・・・ひまだねぃ。. 征夷大将軍になれば幕府を開けると習いました。可能であれば幕府を開いてみたいと思うのですが、とりあえず何から始めればよいのでしょうか。 こんなネタ好きだなぁ。 小学の頃は歴史? 人力検索はてなに関する書籍出版について4 白泉社による人力検索はてなに関する書籍の出版について、出版時期が決定いたしましたのでお知らせします。 これまでの告知文 → 人力検索は はてな本「幕府を作りたいのですが」は正直・・・ 「幕府を作りたいのですが」のキャンペーンに当選したので、感想を書かなければならないのですが。。。プレゼントされておいて、ヒ 今の職場は暇なときはほんとに何一つすることが無い素敵なところ。そんなわけで、眠気覚ましに時間を有効利用しようと興味ある記事などあさっていました。そこで見つけたのが↓です。 |
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